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異国が乱れるときは…徳川家康に学ぶ「国家安全保障戦略」

日本の外交防衛政策…家康の教訓(1)徳川家康が考えた「日本の安全保障」

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
2022年12月、日本の安全保障戦略に関する「防衛3文書」が発表された。そこでは外交を軸にした安全保障戦略が掲げられているが、そこで思い出されるのが徳川家康である。家康こそ、外交としての安全保障戦略を考え抜いた人物だからだ。今回は、徳川吉宗の孫である松平定信が自身の随筆で書き残した家康の安全保障についての考え方をもとに、日本の外交防衛政策へのヒントを探る。(全4話中第1話)
時間:15:30
収録日:2022/12/26
追加日:2023/02/14
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≪全文≫

●外交戦略としての「国家安全保障戦略」と徳川家康の考え方


 皆さん、こんにちは。2022年12月16日に、いわゆる「防衛3文書」というものが発表されました。これは「外交安全保障戦略」、それから「国家防衛戦略」、そして「防衛力整備計画」の3つからなっています。

 「国家防衛戦略」というのは、昔の「防衛計画」の大綱です。そして「防衛力整備計画」は、昔の「中期防衛力整備計画」に相当します。中でも、今回の私の話にまず関係してくるのは、この「国家安全保障戦略」というものの考え方です。「安全保障戦略」と銘打っていますが、簡単に申しますと、基本的な中核になっているのは外交であるという考え方です。

 すなわち、日本は軍事力をもって全てを解決するというのではなく、基本的に外交力をもって、問題・懸案を解決する。しかし、そうした大きな筋道の中で、国家としての安全保障戦略というものを、総体として考えておかなければならないというのが日本政府の立場です。これは、亡くなられた安倍晋三元総理大臣から、現在の総理大臣が受け継いだものです。

 私が、この「国家安全保障戦略」は外交戦略だということを考えるときに、少し歴史を振り返り、徳川家康のものの考え方をどうしても思い出します。

 それは最近、私自身が『将軍の世紀』という書物を書いて、家康に関心を持っているからということからだけではありません。家康は、天下国家を統一したときに、外交とは何か、そして国家安全保障というのは何かということを、一貫して考えてきた政治家です。


●松平定信の随筆に記された家康の安全保障観


 皆さんの中には、「寛政の改革」というものをご存じの方が多いと思います。11代将軍・徳川家斉の時の、松平定信という将軍・徳川吉宗の孫に当たる人物です。定信は、政治家であると同時に、引退した後、特に旺盛に執筆活動、随筆活動をしたことで知られています。

 定信は、亡くなる2年前の文政10(1827)年に江戸随筆(『閑なるあまり』)を書きました。当時、北縁のほうでは、ロシア、それから日本の周辺にはイギリス、アメリカの船などが出没するようになっていました。そのような、国防や安全保障の問題を考えなければいけない時期に、定信は残念ながら政界を去るということになったわけです。その、いわば定信が致仕(ちし)した後、すなわち現役から引退した後、死の2年前に家康の上意数カ条というものを掲げて国防関係の意見をまとめた、事実上の定信の外交、安全保障に関わる遺言のようなものとして出したもの、それが『閑なるあまり』という作品です。

 ここで定信は、まず祖先の「東照大権現」「神君」と呼ばれた家康の外交安保に関する発言をしています。家康は、大変興味深い例えで、外交と安保の関係を述べています。家康は、日本国の船が非常時において、中国の船、唐船と戦うには、鷹に鶴を捕らえる心掛けがなければ勝利はおぼつかないということを述べたのです。

 これを少しかみ砕いて申します。例えば、1000町の田んぼは非常に大きい。その田んぼに鶴が多くいるとき、それをどうやって捕るかという問題です。鷹の数は「居(すえ)」という言い方で数えますが、たくさんいる鶴を多く捕るために、大変優れた鷹、逸物の鷹を仮に1000居求めても、それを指揮する鷹匠が下手ならば、鶴を捕ることはできないと家康は言っているのです。つまり、鷹匠が上手であれば、常に「より」(鶴を捕らえる仕掛け、また軍事でいう前進拠点)をつくって、肉をそこにうまくあてがって、そして適切な場所を定めることで、鶴を捕ることができると。つまり、いくらたくさん鶴がいて、1000人ほどの鷹匠がいたとしても、こういう仕掛けをきちっとしないといけない。そして、天気と風との間、そのタイミングのような気候条件もきちっと考えて、「見合い調子をもって合わするときは」と言っている。見合い調子、そのタイミングと、感覚、調子の呼吸を一致させて捕らないときには、1居さえ、つまり1羽の鶴さえ捕ることはできないと言っているのです。

 みんな、大変優れた鷹を飼ったり、持とうとしたりします。そういう鷹をどれほど持っていて、その鷹が豪であっても、つまり猛々しい鷹の気持ちというものが豪であっても、鶴をわずかな隙において捕るということはできませんよと家康は言っています。

 それは、船の数からして大量であり、そして総体として国の力が上である唐の船と日本の船が仮に戦になったとしても、日本側に、その鶴を捕るときの巧妙な鷹匠の呼吸がないと、戦うことは難しいと言いたいのでしょう。

 すなわち、鶴と鷹との関係のようなものだということです。日本の船の心がどれほど豪であっても、その鷹のように心が猛く、心がはやり、勇気凛々としていたとして...
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