●異国への押さえは「一国の誉れ」
皆さん、こんにちは。前回は徳川家康の安全保障の考え方の一端を、松平定信の紹介によって語ってみました。家康は、基本的に国内に関していうと、東国には江戸に自ら城を築き、同様に東を押さえる拠点をつくったので、基本的に江戸には味方も多く、安全保障上あまり懸念がありませんでした。実際、北からロシアが出現するのには、まだ時間がありました。それは懸念材料ではないと考えたようです。
むしろ心配は、西国、すなわち九州、あるいは九州近辺の海域で、江戸時代を通して、幕府にとって重要な外交と安全保障の懸念材料と、その前進基地が九州に置かれたということ。あるいは、薩摩を通して琉球を押さえたということ。そして、長崎、対馬、こうした地域に対して外交的あるいは防衛的な押さえを設けたということが知られています。
第三代将軍の徳川家光の時に大老格であった土井大炊頭利勝と、林大学頭、すなわち昌平坂学問所、のちの江戸幕府の林家という学問の総取締になった、その林大学頭の対話の中に出てくる、以下のような表現を紹介します。
家光が、九州・筑前(福岡)の黒田と肥前(佐賀)の鍋島に、異国の押さえを申しつけました。長崎の警護はこの2つの藩が交代で担当することになったということです。この時、実際に家光の心配はどこにあったかというと、「黒船よりも明を心もとなくおぼえた」と書かれています。
黒船というのは、ここでは比喩的に西洋の船という意味です。まだ、蒸気機関等は当然使われてないのですが、船の外装、リグ(艤装)に関するものが黒づくめというイメージが強かったのでしょう。その黒船よりはむしろ唐船、つまり中国なのだということを語っていたわけです。
まず、その根拠として明は、日本に近い国です。それゆえに、長崎港内にいる唐船(中国船)というのは、これは非常に厳しい表現ですが、「懐の中の毒蛇ぞ」と。つまり、「和」のために来ているような船であるかのように見えて、実はそれは安全保障という観点から見れば、われわれが自分たちの懐の中に入れている毒蛇に他ならないという、非常に厳しい言い方です。いずれにしても油断してはならないというわけです。
異国への押さえというのは、「一国の誉れ」と言っています。つまり、外国をきちっと押さえるのが日本という一国の誉れである。そして、それに破...