●責任をイスラエルに押しつけるのは、すこぶる簡単明瞭に過ぎる
現在進行しているパレスチナ自治区ガザの事態は、たいへん痛ましいものがあります。ハマスが攻撃することによって、多くのイスラエル人が殺害され、人質として拉致され、行方不明になっていることに対して、イスラエルは報復攻撃を加えている。この報復攻撃によって、多くのパレスチナ人が犠牲になるという循環的構造にあるのは事実です。
問題は、前回申しあげたように、統治責任を有し、統治の主体であるハマスが、自分たちが責任を負うべきパレスチナ人の巻き添えによる犠牲が出ることが必至のイスラエルへの攻撃を仕掛けたということ。このことは、きちんと見ておかなければいけないと思います。
ハマスの立場からすると、責任はすべてイスラエルにあるというでしょう。パレスチナ人の自決権を踏みにじって、ヨルダン川西岸をはじめとした地域に入植地を建設し、オスロ合意などによるパレスチナ人の誠意ある努力や営みを無視してきた、ということです。
全体的あるいは長期的局面において、このハマスの主張は必ずしもすべて間違っているとはいえません。しかし、現在のこの短期的な局面、今われわれが観察しているこの小局面においては、この責任をイデオロギー的にイスラエルに押しつけるというのは、すこぶる簡単明瞭に過ぎます。こうしたことは、政治の主体であり、まがりなりにもガザという地域を支配している統治の主体としては、現実的な政治の担い手としていえば、無責任のそしりを免れないと私は思うのです。
●オスロ合意、アブラハム合意…ハマスの真の狙いとは?
限定的とはいえ、まがりなりにも自治の主権を認められているパレスチナ国家の一部がガザです。そのガザにおいて、ともかく最初に選挙の結果として、与党第一党となって統治を委ねられたハマスが、自分たちの領土・自治地域を一種の隠れ蓑にしながら、隣国イスラエルの市民たちに無差別攻撃を、かつても行なったし、現在も大規模に行なったという事実です。
イスラエルとパレスチナの共存をめざしたオスロ合意(1993年)を含めて、中東諸国がこれまで努力してきた中東諸国の平和の営みを、私はかつて「競争的共存」と呼びました。この「競争的共存」のなかに、当然、パレスチナも入らなければいけないというのが、私の考えです。
ところが、この「競争的共存」を正面から否定したに等しいのが、この間のハマスの攻撃だったわけです。
すなわちハマスの攻撃は、「競争的共存」に向かうアラブの多数派の国々の中東の平和秩序あるいは安定的秩序に対して、1つの彼らなりの考えを示したということです。つまり彼らは、この「競争的共存」の中に、パレスチナが十分に組み込まれていない、あるいはそれを斟酌(しんしゃく)しないままに、イスラエルとアラブ諸国が共存政策を進めていく。それはアブラハム合意と呼ばれるものになるわけですが、それをハマスとしては潰したい。潰すことによって、パレスチナに世界の目をもう1回、向けなければならない(と考えたのかもしれません)。
このことは否定的な意味にせよ、2つの面で成功したわけです。
すなわち、今回のハマスの捨て身の攻撃によって第1に、「競争的共存」に向かうアラブ諸国の政策が著しく減速する、あるいはブレーキをかけられる、あるいは一部においては挫折したということです。
2つ目について申しますと、そもそも競争的共存を否定し、そして徹底してイスラエルの生存権を逆に否定する極端な立場。これは組織的なレベルでいいますと、南レバノンのヒズボラや、ガザのハマスがそうです。国家的なレベルでいうと、イランが、イスラエルの地球における生存権を否定し、地図から抹殺することを公然と掲げている国であるということも忘れてはいけません。
こういうイランの多少なりとも技術的、あるいは武器・兵器的、金銭・財政的な支援を受ける。それも単にできたものをもらうだけでなく、兵器の製造プロセスやプラントについても、製造や作成のノウハウをイランに仰いでいるところがあります。
今回の攻撃に対するイランの関わりがどの程度であるかは、これから検証が行なわれますが、まったくなかったとは言い切れない。かといって、すべてイランがお膳立てをして、今回の攻撃を戦略的に組み立てたという証拠は、今のところない。しかし、イランとハマス、あるいはイランとレバノン南部のヒズボラとの有機的なつながりは、誰も否定できないわけです。
そういう意味でいうと、今回のイスラエルの「動揺」は、イランにとっての中東における国際関係において、たいへん有利なかたちで現象的には作用しているということもいえます。
イスラエルとパレスチナのオスロ合意に対して、ハマスが公然と否定し、公然...