●世は生命大事とヒューマニズムに塗れ、急速に魂を失いつつある
5番目、「生命大事とヒューマニズムは、物質文明の頂点である」です。我々は今、物質文明に暮らしています。何が物質文明の頂点かというと、「魂を失ったこと」です。物質文明は、魂があれば悪くありません、魂があれば。魂を失った物質文明だから、今大変なことになっています。
魂を失ったから、生命大事が大変なことになっているし、ヒューマニズムも「人権のためなら何をしてもいい」という時代になったのです。
最初の項目の「我々人類は、いま物質文明の頂点を迎えている。世は生命大事とヒューマニズムに塗れているのだ」と「我々は急速に魂を失いつつある」。この問題を考えていただきたい。
我々は今ヒューマニズム、ヒューマニズムと言っています。「自分の肉体の生命がすごく大切」と言っています。動物体としては、私もわかります。わかっていますが、先ほどから何度も言っているのは、「人間とは、それ以上に大切なものがある」ということです。
それ以上に大切なものがなく、肉体が何よりも大切なら、これはもうすでに人間ではない。少なくとも、ただの動物です。私は「家畜」と言っています。「動物」と言うと、野生動物が怒ります。我々人間は、もう野生で生きることはできません。もう野生動物に戻ることもできない。したがって「家畜」という言葉になるのです。
我々は急速に魂を失いつつあることに、現在、皆さんに気づいていただきたい。これから失うのではないのです。すでに失っている人もいるかもしれず、失いつつあるのです。
自分の健康や生命が何よりも大切。あとは人間としての人権。「人権」や「人間らしさ」と自分が勝手に呼ぶものが何より大切なら、もうすでに魂を失いつつあるということです。人間は、あくまでも肉体や健康や命よりも大切なものがあることをもう一度思い出してもらいたい。
次に行きます。「人間の定義は、文明・文化が示すように魂であった」。このことは今までずっと話してきました。この魂が、反生命論の元です。でも、生命と魂を絶対的に違うものと分けて考える習慣がつくまでは、けっこう大変です。どうしても我々は動物体の中に魂が入っていますから。魂が入っているこの肉体を、私も「執行草舟」、つまり自分だと思っています。...