●アラン「魂とは、肉体を拒絶する何ものかである」
4番目に行きます。「人間文化の頂点に、大宗教と武士道そして騎士道がある理由」です。先ほどから少し触れていますが、ここで少しまとめておきます。
「すべての文化は、人間の魂の所産である」。これは先ほどから、ずっとしゃべっています。
そして魂とは何か。魂については、私の大好きなアラン(エミール=オーギュスト・シャルティエ)というフランスの哲学者が定義しています。最高の定義で、いろいろなところで引用していて、今回のレジュメにも書いています。
「魂とは、肉体を拒絶する何ものかである」。
意味としては、先ほど(第3話)挙げた荘子と同じです。同じですが、アランのほうは新しい人=19世紀の人で、20世紀まで生きていましたから、わかりやすい。これは、どういう意味か。
私がずっとしゃべってきたのは、「人間とは魂のことを言う」ということです。その人間として生きるためには、肉体を拒絶しなければならない。
一番わかりやすい例として、我々が戦争に行ったとします。鉄砲の弾が飛んできたら、怖いに決まっています。
これがライオンやトラだったら、あれだけ獰猛でも、鉄砲の弾を一発撃てば一目散に逃げます。熊もそうです。ところが逃げない動物がいる。何万種類の動物の中で、一種類だけです。だから「人間」なのです。
怖いのは当たり前です。恐怖に震えても、例えば日本では極端で、特攻隊までいきました。どんなに怖くても、愛のため、国のために、やらねばならないときには鉄砲の弾に向かって突撃する。それができるのが「人間」なのです。これをアランは言っているのです。「肉体を拒絶する何ものかである」と。これが一つの「人間」の定義です。これを考えるだけで、「人間論」は全部わかってきます。
私がこのアランの言葉に出会ったのは中学の時です。中学校の時からアランのこの定義も好きで、自分の哲学を確立するためにずっと考え続けています。
アランは20世紀最大のフランスの哲学者で、そのアランがそう言っています。彼の何が偉大かというと、自分もそのように生きたことです。頭で言っているだけではない。
アランはエコール・ノルマル・シュペリウールという、フランスの最高学府を出た超エリートです。もちろん有名な教授です...