●変容する人間に価値を置く
もう一度、「人の資本主義」に戻りたいと思います。「“Human Co-becoming”としての人間」を資本主義と結び付けるということは、これまで西洋哲学が前提にしてきた存在論、そしてそれに基づいた資本主義ではない、新しい想像力を必要とすることだと思います。
私自身は、一人ひとりの人間が変容していくことを人間のチャンスだと思っていますし、実はそれこそが価値であると思っています。資本主義はやはり価値の問題を考えざるを得ないと思っているわけですが、これからの資本主義が考えるべき価値というのは、「変容する人間に価値を置くこと」。これが望ましいのではないのか。
もちろん、人間はいろいろな方向に変容してまいります。どれでもいいというのではないわけで、「よい変容」ということがあるのだろうと思います。
ここで、どうしても倫理の問題が出てまいりますが、それはまた後の倫理的資本主義のところで申し上げようと思っています。そうすると、資本主義はどうなっていくのでしょうか。
資本主義にも変遷があり、非常に大雑把に申し上げると、「モノの資本主義」、「コトの資本主義」という段階が今までにあっただろうと思います。
●モノからコトへ、資本主義の変遷
「モノの資本主義」は分かりやすいのです。労働によって製品というモノを生産し、流通させて、所有していく。人間は、「あなたは誰ですか」と訊かれると、「労働者です」と答えることが可能だったわけです。生産が労働の中心にあって、所有が生を彩っている。だから、「あなたは誰ですか」と訊くと、「労働者だ。働く者だ」と答えることができたわけです。そして、モノを所有していること自体に価値があると思われてもいたわけです。
ところが、ある時期からモノが溢れてしまった。消費しても消費しても追いつかないほど、モノが溢れる。そうすると、身体的にだけではなく、精神的にも過剰なメタボリックに苦しむ。このように、非常に皮肉な状況が出てきたわけです。ですから、モノの生産というものを根本から考え直さないといけない局面に来ているのだろうと思います。
その後に登場したのが「コトの資本主義」です。ここで...