●才能も実力も乏しいが運にめぐまれて宰相に上り詰めた男
日本人のわれわれであれば、「幸運」(グッドラックの「ラック」)という言葉は分かる。もう1つ、「幸運」に似た言葉に「開運」がある。じつは「幸運」は「開運」とは少し違うということを歴史的には見ておいたほうがいい。
運と実力について。片方だけに恵まれているという人も中にはいると思います。実業あるいは官僚などで成功していく人には、運と実力の両方を兼ね備えている人も外見的にはいるかもしれないけれど、実はほとんどの人は片方だけで出発している。運が良かった、あるいは実力はあった。しかし、よくよく見ていくと、そこには微妙な重なりがあるということに気がつきます。
次のような例は皆さんがあまりお聞きになったことのないケースでしょうから、今日、お話ししましょう。私の本業、もともとの職業としての学問、つまりイスラム史や中東国際関係史という世界にかかわる例を少しお話ししたい。
主人公はこういう人です。若いときに、後にある意味で成功した(日本風にいうと総理大臣までたどり着いた)男は非行少年だった。
問題はどういう非行少年だったかということです。ただの非行少年だったら、のちに成功はしない。非行少年だったけれど、どういうわけかこの人物は、他人に対して気前が良い、太っ腹、そして趣味といえば人にご馳走することで、人に会えば「メシを食わないか」と言って、とにかく人に奢るのが趣味だったという。そういうことが幸いした人間がいた。
この太っ腹だけが取り柄だという非行少年、アブー・アッサクルがいた。この人物がどういう人間かは後で話すとして、彼はすこぶる幸運なめぐりあわせのおかげで、実力が追いつかない(実力がない)といってもいいのに、幸運には恵まれた人生をスタートさせたのです。
人に飯を食わせようという自分の楽しみから、彼はいわば幸運を引いた。幸運を引いている人間はそのうちに仕事もしていきますし、力もついてくる。いろいろな仕事もできるようになる。彼は宰相(総理大臣)までなる人間です。アッバース朝という王朝です。
アッバース朝という王朝をお聞きになったことありますか。高校世界史に必ず出てきます。ウマイヤ朝、アッバース朝、ファーティマ朝、マムルーク朝などたくさん習っているはずで、世界史の中でこれが分からないとやや困ります...