運と歴史~人は運で決まるか
運も実力のうち!?小早川の寝返りを生んだ黒田長政の好運
運と歴史~人は運で決まるか(2)運に恵まれるにはどうすればいいか
経営ビジネス
山内昌之(東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授)
普通の人間の「運」については、どう考えればいいのだろうか。例えば、日本において消費文化が花開いた江戸時代、11代将軍・徳川家斉の治世には、庶民が「運がめぐってこない」ことを皮肉った狂詩があった。運には「めぐりあわせ」が必要なのだが、では運に恵まれるにはどうすればいいか。関ケ原合戦の教訓を提示しながら語る。(2024年3月6日開催日本ビジネス協会JBCアカデミア講演「運と歴史~人は運で決まるか」より、全7話中第2話)
時間:9分32秒
収録日:2024年3月6日
追加日:2024年4月25日
収録日:2024年3月6日
追加日:2024年4月25日
≪全文≫
●金運というものに対して関心がない人間もいる
普通の人間の「運」というものを考えてみましょう。これについては後からいろいろな歴史的な例を出します。
例えば「金運(金の運)」というものがある。金運はどれだけ欲しいと思っても限りがない。ですから、金運はそもそもその内容についても限りがありますし、自分は金運に恵まれているといっても、私から見れば皆さんは十分に恵まれたのだなと思います。
私の場合は金運に恵まれていなかった。そもそも金運というものに対して関心がある、金に対して執着心のある人間は、私が選んだような職業を選ばないでしょう。研究室には頻繁に勧誘の電話がかかってきます。「先生、良い出物がありまして……」と。「悪いけれど、私は興味がない」「え、先生。お金に興味がないのですか。金儲けに興味ないのですか」「ないよ」、そうすると、「変ですね。世の中に金に関心ない人がいるのですか」というわけです。
私も、例えば大好きな森伊蔵を飲むくらいの関心はある。大好きな寿司を月に一回ほど食べに行く。それくらいの余裕があればいいので、それ以上のことには関心がない。「こういう商売をやっている」と言うと、何となく納得してくれます。学者には変な奴が多いのだな、と思って要領を得ない形で引き下がっていきます。
●江戸文化「狂詩」の教え――運はめぐってこないときもある
いくら工夫しても恵まれない運、最初から関係のない運もあるわけですが、例えばにっちもさっちもいかなくなってお金に執着する場合、この「運」というものに恵まれないということで不幸を嘆く人たちもいるのは事実です。
文化文政から天保の頃の時代、19世紀の頭です。将軍の世紀でいうと(徳川)第11代将軍家斉の時代です。50年間、将軍の治世を行って、側室が30、40人、できた子どもが50人以上という、とんでもない将軍がいたわけです。この時代は投資や金儲けに対して非常に関心ができた時代、消費文化が非常に彩りを見せた時代でした。
この時代に、金などに対する執着でにっちもさっちも行かなくなった自分の身上(身の上)の悪さに掛けて皮肉った詩を書いた者がいる。狂歌をご存じですよね。狂歌とは5・7・5で行う歌です。大田蜀山人などがいます。
狂詩は、皆さんは聞いたことがないと思います。狂詩とは何かというと、漢詩です。漢詩を狂歌のように、非常に皮...
●金運というものに対して関心がない人間もいる
普通の人間の「運」というものを考えてみましょう。これについては後からいろいろな歴史的な例を出します。
例えば「金運(金の運)」というものがある。金運はどれだけ欲しいと思っても限りがない。ですから、金運はそもそもその内容についても限りがありますし、自分は金運に恵まれているといっても、私から見れば皆さんは十分に恵まれたのだなと思います。
私の場合は金運に恵まれていなかった。そもそも金運というものに対して関心がある、金に対して執着心のある人間は、私が選んだような職業を選ばないでしょう。研究室には頻繁に勧誘の電話がかかってきます。「先生、良い出物がありまして……」と。「悪いけれど、私は興味がない」「え、先生。お金に興味がないのですか。金儲けに興味ないのですか」「ないよ」、そうすると、「変ですね。世の中に金に関心ない人がいるのですか」というわけです。
私も、例えば大好きな森伊蔵を飲むくらいの関心はある。大好きな寿司を月に一回ほど食べに行く。それくらいの余裕があればいいので、それ以上のことには関心がない。「こういう商売をやっている」と言うと、何となく納得してくれます。学者には変な奴が多いのだな、と思って要領を得ない形で引き下がっていきます。
●江戸文化「狂詩」の教え――運はめぐってこないときもある
いくら工夫しても恵まれない運、最初から関係のない運もあるわけですが、例えばにっちもさっちもいかなくなってお金に執着する場合、この「運」というものに恵まれないということで不幸を嘆く人たちもいるのは事実です。
文化文政から天保の頃の時代、19世紀の頭です。将軍の世紀でいうと(徳川)第11代将軍家斉の時代です。50年間、将軍の治世を行って、側室が30、40人、できた子どもが50人以上という、とんでもない将軍がいたわけです。この時代は投資や金儲けに対して非常に関心ができた時代、消費文化が非常に彩りを見せた時代でした。
この時代に、金などに対する執着でにっちもさっちも行かなくなった自分の身上(身の上)の悪さに掛けて皮肉った詩を書いた者がいる。狂歌をご存じですよね。狂歌とは5・7・5で行う歌です。大田蜀山人などがいます。
狂詩は、皆さんは聞いたことがないと思います。狂詩とは何かというと、漢詩です。漢詩を狂歌のように、非常に皮...
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