●西郷や大久保は博打で戦争を行ったのか
そして、われわれの次なる疑問は、「全ては運か」ということです。
先ほど関ヶ原の戦いを例に出しましたが、鳥羽・伏見の戦いをご存じですか。幕末に薩摩を中心とし、最終的には薩長土になりましたが、実際は薩摩です。薩摩と(旧)幕府軍が戦って、西郷・大久保らの薩摩軍が結局、(旧)幕府の軍隊を打ち負かし、これが開運の始まりであって、幕府は最終的に倒れて新政府ができた。
結局、西郷や大久保らは「勝つも負けるも時の運」ということで一種の博打であったのかということです。戦争を博打で行ったのは、戦前の帝国陸軍(わが国に最近までいた陸軍)を例外とすれば、近世近代においては非常に珍しいことです。彼らが行ったことは、戦争を博打として考えたところです。
博打で当たった最大のケースが真珠湾攻撃ということになる。そしてマレー沖海戦です。これは開戦劈頭においては当たったのだけれど、だんだんとそういった博打が当たらなくなってくる。最も重要な「運」というものをつかむためには、実力がなければいけない。
本当の彼我の力の差を考えたら、日本が勝っていくファクター(アメリカに勝つファクター)は非常に少なかった。生産力や補給力を含めてだんだんと弱まってくるわけです。西郷たちは博打ではないのです。そのときどきの運も考えたけれど、それだけの準備をきちんとしたということです。「運を天に任せる」という言葉はあるけれど、帝国陸軍のようにただ天に任せて博打のような戦いをしたわけではない。
徳川家康が「運の善し悪しは人知(人の知恵)ではどうすることもできない。だから関ヶ原の戦いでは成り行きに任せて勝ったのではない」のは、先ほど触れた通りです。黒田長政なども使って政治工作もしたり、内部撹乱などもしたりする。そういう中で勝利を得たのだから、偶然ではありません。
●「運が全て」という見方は妥当か
現代人ならば素直に受け止められないことは何か。「何でも運だ」という見方、「運で全て決まってしまう」という見方は、受け入れられないことです。先ほどから語っているのは、そういうことなのです。ギリシア古典には「人間のいとなみは、運であり思慮ではないと考える」とあるけれど、私は決して同意できない。
『読売新聞』3月4日月曜日の朝刊の1、2面に掲載された記事で私が言いたか...