●リーダーを支える側近育成が必要
今日は、佐藤一斎が記しました『重職心得箇条』について、お話しします。佐藤一斎は、まず自分の藩の若い藩主に対して、藩主の職についての心得書を書きました。それに対し、藩主を盛り立てていくナンバー2以下の臣下に対しての心得を記した書が『重職心得箇条』であります。
私は、常日頃より東洋のリーダーシップに非常に関心があり、ひたすらリーダーシップの方を一生懸命究明をしていますが、リーダーシップだけではこれは成り立つことはない。やはり今度は臣下、フォロワーの側からいうフォロワーシップというものがあって、両方が相まってリーダーシップが発揮されるわけです。このことは、唐の太宗の『貞観政要』という書物を見ていただければ分かるように、太宗だけではいかんともしがたかったわけで、その下に王珪(オウケイ)や魏徴(ギチョウ)など、そういう名臣がいたからこそ、あの唐という国は成り立ったのです。これは、徳川家康も全く同様です。
したがって、今日、各社を拝見して非常に思うことは、「立派な社長さんだな」「リーダーだな」と思う反面、「この人にもっといいナンバー2、ナンバー3、側近が付いたら本当にすごいのになあ」と思うばかりです。どうも今の世の中、この側近育成、要するに名臣を育てるということに対して、非常に劣っているのではないか。そのように思えば思うほど、今日のこの『重職心得箇条』という、要するに臣下の心得というものは非常に重要であると思います。そういう意味では、ここで取り上げる意味合いが非常にあるのではないかと思っているわけです。
●時代が請い、時代に応えた佐藤一斎
いきなり『重職心得箇条』に入る前に、この佐藤一斎という人を少しご紹介してから始めたいと思います。佐藤一斎は、1772年に生まれました。このような幕末の人をはかるときに基準になるべきなのは、1868年の明治維新です。その人の生まれ年が、1868年に対してどうであるのか、何年の差があるのかということで、大体その時代背景とともに、その人の存在意義がはかられるということです。そういう意味で言えば、この佐藤一斎という人は、明治維新のちょうど96年前、100年近く前の生まれで、1859年、87歳まで生きていますから、幕末の明治維新の9年前に亡くなるわけです。したがって、私流に言えば、佐藤一斎は...