●佐藤一斎の人と思想を語る『言志四録』
私も『言志四録』について著作(『超訳 言志四録 佐藤一斎の「自分に火をつける」言葉』、知的生き方文庫)を出していますが、この書物を佐藤一斎がずっと書いています。これはもう亡くなる数年前まで、過去40年間にわたって、自分の思うところを書いたものです。まさにいろいろな意味合いを持ち、人生観を語っているし、人生論でもあるし、仕事論でもあるし、中でも死生論、生き死にというものについてはこうやって思うべきだとか、そういうことが綿々と書かれている書物です。特に皆さまご存知のことを言えば、西郷南洲が島流しになった時に、この『言志四録』を持っていき読みふけって、その中から101カ条を抜き書きして私書を作ったというような逸話がありますが、そういうことをしたいと思わせるぐらいの名言がざーっとあるのです。
幕末の儒者で非常に名前が挙がっている人も、著作があまりないと、非常に残念なことですが、その人の人となりや、特に思想や哲学を解明しようにも解明できないのです。江戸は、それこそいわば学問立国と言ってもいいぐらいに北は松前藩から南の鹿児島まで、「この人あり」という藩儒がもうごろごろしていました。そういう人たちの学問の跡をお訪ねするというのが、後人である私の仕事であろうということで、いちいち出向いたその地域が、江戸時代の藩に移し替えるとどういう藩になるのか調べて、その藩の藩儒の2、3人を必ずご紹介するというのが、私が各地域に伺うときの講義の慣例になっているのです。ですが、存外、この佐藤一斎のようには著作を残してくれていないので、その人がいて、いろいろな書を残しているとか、漢詩を残しているということは分かるけれど、これほど詳細に自分の考え方を述べていませんので、なかなかその人の思想哲学を解明するということはできないのです。
非常に幸いにも、この佐藤一斎はここまで残していてくださるわけで、佐藤一斎という人がどういう考え方で、どのような信条を持って人生を送られたかということが、非常にはっきり、明確につかむことができるのです。これはありがたいことです。
●エネルギーを一途に学問に振り向けた一斎
したがって、佐藤一斎というのはどういう人だったか、特徴だけをまず申し上げます。前回お話ししましたが、「学問の家系である」と言うと、とかく青白...
(田口佳史著、三笠書房知性生き方文庫)