●伝統は守るもの、習いは変化させるもの
続いて『重職心得箇条』の第三条です。
「家々に祖先の法あり。取り失ふべからず。又仕来り仕癖の習いあり。是は時に従って変易あるべし。兎角目の付ケ方間違ふて、家法を古式と心得て除け置き、仕来り仕癖を家法家格などと心得て守株せり。時世に連れて動かすべきを動かさざれば、大勢立たぬものなり。」
これも、現代によくあることです。その会社が非常に重視してきて、何代も何代も守ってきた企業理念なるものを粗末にして、言ってみれば慣習的なことを「もう、うちの会社はこういうふうにしてやるんだ」と言って、大切にしているようなところがあります。伝統や、その会社のコア、核となるもの、あるいは、精神基盤の中の基盤と言ってもいいものをしっかりしていかなきゃいかん、ということを、ここで言ってくれているのですね。
「家々に祖先の法」。これは「伝統」ということでしょう。特に、中国古典の方では、「創業垂統」と申します。垂統というのは、「伝統を垂れる」と書きます。企業を始める、組織を始めるということは、何のためにするかというと、伝統を垂れるため。要するに、現すため、蓄積するため。そういうことのために、まず創業があるのです。そういう点では、この祖先の法、伝統がまずある。それを取り失ってはいけない。「取り間違ってはいけない」ではなくて、「取り失ってはいけない」「失うということがあってはいけない」と言っているのです。
そして、その法に対して、「仕来り仕癖の習いあり」、これは「慣習がある」と言っているのです。「こういうものはこうやって処理するんだ、こうやってやるんだ」という、そういう習いがある。「是れは時に従って変易」、これは「変化がなければいけない」ということです。そのときそのときの時世に従うということです。もっと言えば、今はもうインターネットの時代ですから、そうなっているにもかかわらず、人力でコンピュータが得意な数を一生懸命やっているような会社がありますが、数などというものはコンピュータに任せたらいいのです。要するに、人間はもっと頭脳の勝負というところをやらなければいけない。コンピュータがやるべき仕事を人間がやっているようなことになってしまうのなら、それは変えた方がいいよ、と言っているのです。