●トップの交代は、社内に「春が来た」の風情で
さあ、最後の第17条です。ここもいいところですが、これは冒頭に申し上げたように、岩村藩が歳若い藩主に交代する時に、新しく幕閣を形成する若い幹部の心得として佐藤一斎が残したものです。ですから、最後の条になって「現在の岩村藩は何をどう考えるべきか」が単刀直入に述べられています。しかし、これも非常に普遍的なこととして受け取っていただいた方がいいと思います。読んでいきましょう。
「人君の初政は、年に春のある如きものなり。先づ人心を一新して、発揚歓欣の所を持たしむべし。刑賞に至ても明白なるべし。財帑窮追の処より、徒に剥落厳沍之令のみにては、始終行立ぬ事となるべし。此手心にて取扱あり度ものなり。」
「人君の初政」、つまり今、藩主が代わった。ですから、皆さんのお立場で言えば、トップの社長が代わる場面です。それは、「年に春があるようなこと」である。春になれば、芽が吹き、花が咲き、非常に華やかで晴れやかになります。つまり、「気分一新」ということです。気分一新の時であるから、「先づ人心を一新」しなければ駄目だし、そうするのに良いタイミングだと言うのです。
●節目を利用して、人心も社内状況も一新させる
物事には節度すなわち節というものがあります。だらだら長く続くのはたまらないので、節目が必要になる。トップが代わる時などは、人心を一新していくには非常にいい節目なのです。
そういう時には、例えばモットーや信条を変える。あるいは制度を、何か若干新しく変える。そのようなことをしていただくといいと思います。そういうものを変えて人心を一新すると、「さあ、やるぞ」「さあ、いくぞ」と「発揚歓欣の所を持たしむ」ことになる。そのためにトップの交代はあるのだと言ってくれているのです。
もう一つは、「刑賞に至ても明白なるべし」。「刑賞」は刑罰と褒賞です。そういうものもしっかり明白にして、うやむやにしない。そのためには刑賞の制度も明確にして、基準をしっかりすることが非常に重要だということです。明快・明白な風土にしろ、社内状況にしろということを、ここでは言っているわけです。
「財帑窮追の処」とあるように、今この岩村藩では財政が非常に窮迫して、あまりうまくいっていない。つまり、非常に金に余裕がない状況だということですね。
そういうときだから気をつけていないと陥りがちな状況を「徒に剥落厳沍之令のみ」と言っています。「剥落」は剥げ落ちる、「厳沍」はふさぐとか凍るという意味です。金がなく、財政が窮迫しているという理由で、あれもこれも駄目というように全てが封鎖される状況に陥りやすくなる。しかし、それはまさに「発揚歓欣」しようのない状態に持っていくことだ。それでは、事の「行き立つ」ことがない。「始終行立ぬ」とは、最初から最後まで立派に過ごせはしないよということです。
●財政状況が良くても悪くても「手心」はある
「此手心にて取扱あり度ものなり」。「此手心にて」とは、そのように窮迫して貧しいときにもやはり気分転換は必要だから、皆がパッと転換できるようなことをやろう。例えば、簡単な社内の懇親会でも開いて皆で楽しむとか、ちょっとお花見にでも行ってみるとか、何でもいいのです。そのように、日頃を忘れられる気分転換になるパッとしたことをいくつか設けて、「さあ、やろう」というようにもっていく。
あるいは、会社の先行きに希望を持てるような案件を披露する。「まだちょっと早いんだけど、こういうこともあるんだよ」と、研究開発状況などを報告する。「予測としては、来年度には花開くということを期してやっているんだ」と、何かしら皆が会社に希望を持てる情報を出していくことが重要です。
では、「財帑窮追」ではなくて、反対に非常にうまくいっているときはどうしたらいいのかというと、今度は引き締めなければいけないわけです。
先ほどとは反対に、今回はトップ(人君)が代わったのだからと言って、皆が緊張感を持てるように引き締めてかかる。「少し厳しいかもしれないが、初年度を迎えるにあたり、有終の美を飾れるよう、皆で頑張ってやろうじゃないか」「ちょっと厳しい階段を上がらなければいけないかもしれないが、皆で助け合って上がっていって、初年度を新しいトップに晴れやかな顔で迎えていただこう。野球で言えば胴上げできるゴールにしよう」というようなことを言い合うことが、非常に重要なのだと言っています。
●「17条の経営憲法」を毎日実践する人の行く先は
以上、「重職心得箇条」を読んできました。これらは17条から成り立っていますので、私は聖徳太子の十七条憲法に比して、「17条の経営憲法」あるいは「政治憲法」と呼んでいます。
これからトッ...