●愛の話も忠義の話も、すべて自分の身を犠牲にする話
8番目に行きます。「反生命の信念だけが、真の歴史を創った」です。これは6番、7番の延長線上にあります。反生命の信念、つまり我々人間の生命は「生命ではない」と思う気持ち。我々の生命とは魂、つまり宇宙の真理であり、宇宙の真理から生まれてきたのが我々人間であることが、真の歴史を創ったという話をこれからしたいと思います。
タイトルの下に(魂のために肉体を投げ打つ)とあります。今まで話してきたことと同じです。魂のために肉体を投げ打つ覚悟が、「反生命の信念」の意味です。それだけが真の歴史を創ったということです。
先ほどから話していることは全部、「自分の考えがどう」とか言っているとわかりません。自分の考えでも何でもない。私の自慢は、すごい読書家ということで、読書を中心に人間の文化を学び、その結果を話しています。私が言っているので、私の意見に聞こえますが、私は意見だと思っていません。人類の真実を語っていると思っています。人類の築き上げた文化の本質です。
だから、私の意見と思って聞かないでください。疑問に思った方は、歴史書でもなんでもどんどん読んでいただければ検証できます。まずそういう人が、歴史を創ったということです。
次が、その一つ目の例です。「愛や恋の極点がそれを表わす」。我々はいろんなことで「愛が大切」「恋が大切」と言っていますが、その極点を表わすいろいろな歴史的文学や歴史がありますよね。それが全部、「犠牲的精神」だと言いたいのです。
我々は日本人ですから、弟橘姫(オトタチバナヒメ)が(夫である)ヤマトタケルのために自分の身を投げ捨てて嵐を治めた話を知っています。ヤマトタケルが東方征伐に行ったときに、走水(はしりみず)、今の東京湾で嵐に遭遇した。そのときに弟橘姫がヤマトタケルへの愛情や、ヤマトタケルに命を救われたことへの恩に報いるために、船から飛び降りて嵐を鎮めたという伝説が『日本書紀』に残っています。
当時は女性が海に身を投げて神様の犠牲になれば、嵐が治まると信じられていました。それを実行して嵐を鎮めたのです。これは話としては実話なのです。
これも言いたいことは、「愛」というものを表わすために歴史はそういう例を出しているということです。
愛...