●人間は、魂のために肉体を犠牲にする歴史を積み重ねてきた
レジュメの2番目に行きます。「反生命論は、真の人間燃焼論である」。我々は今、「人間の未来」「人間とは何か」など、いろいろなことを語っていますが、実は生命のことを人間だと思っています。人間論が「人間=生命」と混同されているので、どんどん間違えてしまうのです。本当は「生命とは何か」という話と「人間とは何か」という話は、実は別々です。
私はたまたま武士道が大好きで、『葉隠』だけが好きで、研究してきたのでわかります。武士道と騎士道だけが、「人間の文化」としては一番わかりやすい文化として確立しています。武士道や騎士道が「忠義のため」「愛のため」に命を捨てなければならないのは、「生命」と「人間としての生き方」を別途に考えているからです。人間として、「こうやらなければダメ」という話です。
人間として何かを全うするときには、極端に言えば、生命を捨てなければならない。切腹までしなければいけない。これが武士道です。切腹は極端ですが、そういうことを言っています。
ここで「反生命論」という題をつけていますけれど、実は「生命=人間ではない」と先ほど言いました。だから、人間論と生命論を別途にきちんとわけて考える習慣をつけていただきたい。
第2項目の1番目に「人間とは、魂の生き物。魂のために肉体を犠牲にする歴史を積み重ねた」とあります。この肉体とは、我々が今、生命も兼用しているので「肉体」と言っただけです。これは肉体ではなくて、我々「人間」と呼ばれる魂が、何か違うもの(物質の中)に入れば、その物質が「人間」となるのです。
これについては、いろいろな意見がありますが、長くなるのでここでは出しません。生命の問題でいえば、(魂の違うものが)物の中に入れば、それが人間になると認識してください。
私は昔、「生命燃焼」という言葉をずっと唱えていました。これを実は人間論として言っていましたが、誤解されやすいので最近、言い方を変えました。「生命燃焼」から「人間燃焼」という言い方に変えています。
なぜ変えたかというと、私は昔、「生命=人間」だと思っていました。ところが、いろいろな科学が発達して、いろいろなことが証明され、「生命=人間ではない」と10年、20年前からわかってきた。「...