●『ギルガメッシュ叙事詩』に描かれた森の神フンババの殺害
―― メソポタミア神話というと、聞き覚えがあるものとして「ギルガメッシュ」という言葉があります。『ギルガメッシュ叙事詩』はこの神話の中でどのような位置づけになるのでしょうか。
鎌田 ギルガメッシュという存在は、「実在の人物である」というように描かれているのですが、神話上の英雄のような人物としても考えられます。なぜなら、神々の末端に属しているんですね。(メソポタミア文明の)王様は、神の血も引いている。同時に人間でもある。ですから、そのいちばん最初のモデルになるような英雄神あるいは英雄王が、ギルガメッシュです。一部の伝承では「ビルガメッシュ」という名前にもなっている。
ギルガメッシュが何をしたかというと、「人間の始まり」や「王の始まり」ということになります。まず重要なのは、森の神を打ち破ったということです。
この世界には、さまざまな「荒ぶる力」や「妖怪のようなもの」「大自然の威力」というものがあります。例えば、現代の私たちの世界では災害が頻発しています。こうした災害を引き起こすのは、昔でいえば、妖怪やモンスターのような神々、すなわち「悪神」という存在です。そうした荒ぶる神を封じ込めなければいけない。これは、スサノオがヤマタノオロチを退治するのにも似て、そうした荒ぶる神々を退治する役割の英雄が登場してこなければいけない。それがギルガメッシュです。
(ギルガメッシュは)森の神フンババ(あるいはフワワともいいますが)を殺害する。その殺害するときに、エンキドゥという半身が人間のようで、半身が馬のような友人の協力を得て、フワワを打ち倒す。それによって、人間社会の中の統治の構造というか、安定した、コントロールされた都市文明というものを築いていく。
それは例えば、「森の支配」ということは、木を切り倒していくとか、森や山が水源であったらそこから水を引いて灌漑用水にして農業を行っていくなどです。あらゆる自然が持っている「大洪水を起こす」などといった大きな猛威や力を、人間自身の力でコントロールしていくということの象徴的な表現になります。
●メソポタミア神話における死後の世界――イナンナの冥界下り
―― 人間の場合は「死ぬ」ということになりますが、「死後の世界」はどのように描かれているのでしょうか。
鎌田 その「死後の世界」の描き方にも、非常に面白い物語があります。イナンナという女神が冥界へと入っていく、有名な「イナンナ女神の冥界下り」の話がその一つです。これはいってみれば、ギリシア神話のオルフェウスの話とも少しつながりがあります。
イナンナは豊穣の女神でもあり、この世界をクリエイト(創造)していく力を持っている。ある種、地母神的な役割を果たしている神でもあります。
その女神が持つさまざまな能力や機能は「メ」といわれています。さまざまな文化的な力、創造性を持つ「メ」というものを、イナンナは自分の中にーー例えば鏡であるとか、宝石であるとか、いろいろな装身具のように付着していくのです。
―― 「メ」というのは、イメージでいうと魂のようなものでしょうか。どのようなものですか。
鎌田 「メ」を訳すのは、なかなか難しいですが、「規範」や「秩序」と訳されることもあります。ごくごく簡単にいうと、ある種の機能的なもの、あるいは役割的なものの、一つひとつになるでしょうか。
例えば、会社では、社長が1つの役割ですよね。それから課長という役割もあります。また、社員の中には女性社員も男性社員もいたりする。あるいは、一部分はパソコンに機能や役割を果たさせている。そのような、いくつかの機能や役割のようなものの一つひとつを「メ」というかたちで表現している。それらが集まった全体もまた「メ」です。
そういうシュメール世界の規範をなすような「メ」を、イナンナが身につけているわけです。統治をしていくためには、その「メ」がなければならない。
統治の基本的な要素や各部分を、うまくコントロールしていく神がイナンナなのですが、そのイナンナが冥界に下っていくとき、姉に当たる冥界の神から、身につけた「メ」を一つひとつ脱がされます。姉妹の仲が悪かったので、力を削いでしまおうという腹があったわけです。それで次々と服を脱いでいき、丸裸のような状態にされ、「メ」が奪われていくという物語もあります。
そして、イナンナ女神が、姉(冥界の女王)に奪われてしまった「メ」の力を、もう1回、知恵と策略をもって取り戻すという話も伝わっています。
こういった死の世界の話は、いくつか大...