●敵を自分の思い通りにさせないためにすべきこと
そして「能く敵人をして至るを得ざらしむるは、之を害すればなり」です。「至るを得ざらしむる」ということは、敵を自分の思い通りにさせないということです。「之を害すればなり」は、妨害するということです。ですから、こちらが遅れてしまい敵が思う存分やるというときに、せめてそれを妨害する仕掛けをいくつか用意するということが重要だと言っているわけです。
次の「故に敵佚すれば」は、敵が余裕を持てばということで、「能く之を勞し」というように、敵が非常に余裕綽綽でやっているとすれば、違う場所を戦地にして、あえてそちらのほうに移動させるとか、それから両方から挟み撃ちにするとか、両方あたふたと慌てさせるとか、そのようなことをして苦労させる、疲労させるということです。
さらに「飽けば」、相手はもう食事をたっぷり取って、それで余裕綽綽というようになっていれば、「能く之を饑<う>ゑしめ」で、つまり兵糧攻めというものがありますから、兵糧をしばらくストップさせて相手が飢えるように持っていくということが、形勢を逆転させるポイントだといっています。
そして「安んずれば」ですから、相手がどっかりと安定してじっと自軍を待ち受けているなどということがあれば、「能く之を動かす」と言っているように、そちらには進まずに全然違うところに進めということです。例えば、敵が本拠地から出てきて戦場に先に着いているとすれば、少々遠回りでも、その敵の留守している本陣を突くなどして動揺させるということです。いろいろな動揺策というものがありますが、それをする必要があるわけです。
●秀吉の「大返し」に隠されていた秘策
さらに、敵に後れを取って、これから行ったのでは敵の待ち伏せを受けてしまうというときは、「其の趨<はし>らざる所に出で、其の意<おも>はざる所に趨る」で、要するに、そこで重要なのはその土地勘のある人をきちんと用意しておいて、そのような人に道案内をさせることが重要だといっているのです。
それは日本の戦国時代などでも、戦地に一番精通した土地の人間をきちんと雇って、そういう人間に道案内をさせて、少々危険でもいいから、敵に後れを取らないように、敵より前に着くためには、道なき道でも獣道でもいいから案内させることです。そのような辺鄙なところ、あるいは獣道のようなところを通って、先に行ってしまうほうがいいということを言っているわけです。
それから「千里を行きて労せざるは、無人の地を行けばなり」ですが、要するに千里の長い道を早く行くということですが、疲労がその割にないように行くためには、誰もいないところを行くこと、一瀉(いっしゃ)千里で先へ先へと進めばいいというところへ行けばいいのです。
豊臣秀吉の「大返し」という話がありますが、中国地方から攻めていく時に、織田信長が本能寺でやられたと聞いて、常識では考えられないようなスピードで帰っていったというのは、まさにこの「無人の地を行けばなり」です。ですから、遠いところに行こうとしても、それは帰ってくる道のりを行くわけですから、進んでいくときに帰りの用意をして進んでいくということが重要です。
秀吉も中国へ攻めていくときに、これは帰りが当然あるわけですから、そのようなときのために、労せずして帰ることができるように馬を用意しておくとか、籠を用意しておくとか、それから食料を用意しておくとか、万薬を用意するとか、それから道を造らせておくとか、そのようなことをやったそうですが、それを言っているわけです。このところをよく吟味して読んでいただきたいと思います。
●「無」を非常に重視しているのが『孫子』である
その次です。「攻めて必ず取るは、其の守らざる所を攻むればなり」です。これも当たり前のことを言っているのですが、まずセオリーをしっかり身につけるというのが基本です。こちらが攻め取ろうというときには、敵が守らないところを行くのが基本ですから、あえてそういうことをしっかり頭に置いておかなければならないと言っているわけです。
そして、「守りて必ず固きは、其の攻めざる所を守ればなり」で、今度は反対に敵が攻めてこられない、攻めにくいというところを設定して、そこを守っていくということが重要だということです。簡単にいえば、土地の状況などによって、敵が攻めにくい地形になっているとか、そういうところです。そのようなところに大切なものを置いておくとか、そういうところを設定して守っていくことが重要なのです。
したがって、「故に善く攻むる...