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●敵の力を分散させて手薄なところを撃つ
次は「能く衆を以て寡をうてば、則ち吾の與<とも>に戰ふ所は約なり」です。この約というのは貧弱という意味です。つまり、こちらがある程度のまとまりある人数を持っているのに対して、敵はそれぞれ分かれている、そのようなところは手薄になるということです。そうなると、充実しているほう(こちら)が手薄なところ(敵)を撃つことになるわけですから、そういう意味では戦う場は敵が貧弱になるということです。
そして「吾が與に戰ふ所の地、知る可からず」ですが、さらにいえば、そのようになって例えば敵が10カ所を守るとしても、10分の1ずつに分かれるとしたら、10カ所に分かれたうちのどこからこちらが攻めてくるのかよく分からないということになります。ですから、どこから攻めてくるか分からないくらいの恐怖はないわけです。したがって、「戰ふ所の地、知る可からず」になるのです。
さらに「知る可からざれば、則ち敵の備ふる所のもの多し」で、もうどこが戦地になるか分からないということは、ありとあらゆるところに人間を配置しなければいけないということになります。備えるところばかりが多くなってくるのです。
それから、「敵の備ふる所の者多ければ、則ち吾が與に戰ふ所のもの寡し」というように、敵が本来は30名で守っていなければいけないところを3カ所に分ければ、それぞれ10名ずつになるわけで、さらにそれを60カ所にするなどと増やしていけば、どんどん敵の地点の人数は少なくなってしまうわけです。ですから、こちらはもう簡単で、(それ以上の)大軍をもって少数を攻めるということで、それは非常に勝利が近くなるということです。
次、「故に前に備ふれば則ち後寡く」です。孫子がすごいところは、一つ一つ具体的に全部文章にして言ってくれているのです。敵が前に備えれば敵の後ろは少なくなり、敵の後ろに備えれば前が少なくなります。敵の左に備えれば右が少なくなるし、右に備えれば左が少なくなります。そして「備へざる所無ければ」で、全てのところを備えようと思えば、「則ち寡からざる所無し」というように、全て少ないところになってしまうと言っています。つまり、一番敵が不利になってしまうわけです。
これは虚実篇の冒頭でいった「人を致して人に致されず」ということです。主導権はこのようにして取っていくことなのです。そういうところについて話しているわけです。それを前後右左と一つ一つ細かく言っているのは、そういう一過程一過程がすごく重要だということです。また、反対に備えるほうになったときには翻弄されてはいけないということを言っているわけです。
●自国から遠く離れたところを戦地に選択してはならない
そして「故に戰の地を知り、戰の日を知れば、則ち千里にして会戦す可し」で、要するにこの場所でこのときに戦うことが分かれば、そこに勢力を集中できますから、戦ったほうがいい、「会戦す可し」となります。
さらに「戰の地を知らず、戰の日を知らざれば、則ち左、右を救ふ能はず、右、左を救ふ能はず、前、後を救ふ能はず、後、前を救ふ能はず」ということで、前後左右を救うことができなくなりますから、どこでどうやって会戦するか、戦うかなどということはとても重要で、それをいつ会戦するのかも大切なのです。ですから、(そうすることで)じわじわと敵が戦わざるを得ない状況に追い詰めていくことこそが、戦略論の第一のポイントであることをここで言っているのです。
それから「而るを況んや遠きは数十里、近きは數里なるをや」とは、簡単にいえば、場所が大変離れたところであるとか、要するに遠いところです。そのようなところで会戦をしようなどというとき、例えば自軍の国から遠い戦地で戦おうなどということはとても難しい。改めてここで孫子が、要するに海外遠征の難しさとか、遠いところに戦地を求めていくことの危うさを言っているのです。
ということは、もう言わずもがなで、太平洋戦争、第二次世界大戦で日本は戦地をものすごく広げてしまいました。あれはいかに不利なほうに不利なほうに自分を持っていく戦略であったかということが、こういうものを読むとよく分かってくるわけですが、では(彼らは)皆、孫子などは読まなかったのかというと、読んだ人たちでしょう。読んだ人たちなのですが、時と場合によって、まったくそういうことを忘れて、その場の対処であたふたとしてしまったのです。


