●相手に悟られない戦略とは何か
さて、「進みて禦<ふせ>ぐ可からざるは」ですが、進んで敵を防ぐことができない、つまりこちらが進んで攻めていくときに敵が防ぐことができないのは、何といっても「虚を衝けば」で、虚を衝かれたということがあります。例えば、不意に攻めてくるとは思わないところからパッと攻めてくる、虚を衝かれるということがあります。そういう状態を想定しなければいけません。
さらに「退きて追ふ可からざる」ですが、自分たちが退陣するときに敵が追いつけないのは、「速<すみやか>にして及ぶ可からざればなり」というように、敵が及ばないくらいにさっと引き揚げることが重要だと言っています。これは現代のビジネスの戦略からいっても、敵に多くを悟られないことは一番重要です。そういう意味では、交渉事などのときにも、たぶん相手はこういうふうに言ってくるからこちらはこのようにしようと考えることができないとか、相手がどういう戦略でどのように言ってくるのかよく分からないなど、この「よく分からないという状態」をいつもつくっておくことが重要であるというわけです。
それは何かというと、無形、無声ということです。つまり、敵の社内がどういう状況かよく分からないということです。そういう点では、会社の実態がよく手に取るように分かるというような状態というのは、こういう戦略論からいえばよろしくないということになります。だから、人間もそういう意味では、可能性ということとか自分の本当の実力などはあまりひけらかして見せつけたりしないほうが、いざというときに「あんな力があるんだ」と相手が驚くことになるということを教えてくれています。
その次、「故に我戰はんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすと雖も、我と戰はざるを得ざるは、其の必ず救ふ所を攻むればなり」です。これは、自分が戦おうと思ったときに、敵がどれほどの防御をしても、「塁を高くし溝を深く」というのは、防御を高くしてさらに溝を深く掘って防御をするということですが、そのようなことをしても、自分と戦わざるを得なくなるようにするにはどうすればいいか、つまり、敵が防御態勢を崩してまで戦うようにするには、「必ず救ふ所を攻むればなり」で、敵が攻められたら困るというところを攻めることが非常に重要だと言っているわけです。
したがってそのためには、敵はどこを攻められたら嫌なのか、攻撃されたら嫌なところをよく知らなければいけません。ですから、「彼を知り己を知れば(百戦殆<あや>うからず)」という有名な孫子の言葉というのが、こういうところに効いてくるのです けれど、要するに敵をよく知らなければだめだと、相手をよく知らなければだめだということなのです。(ビジネスにおいて)建設的にいえば、やはり顧客をよく知っている会社は必ず勝つということは、ここから来ているわけです。
●戦略の極地は無形にある
そして「我戰を欲せざれば」は、こちらは戦いを欲しない、もう戦わないというようにすればということで、「地に画して之を守るも」と言っているように、これが溝の代わりといって地に書く、それからこれは城壁の代わりといって地に書いたくらいに、まったく防御態勢がないといっても、「敵、我と戰ふを得ざるは」で、敵が自軍と戦えないのは、「其の之く所に乖<そむ>けばなり」ということで、たとえていえば、戦場はそんなところにはないといって、パッと戦場を変えてしまうのです。いってみれば、お互いに戦いどころ、戦闘の場を変えてしまうということも、戦略としてはとても重要なのです。
敵も、「ここが戦闘の場所だろう。ここで戦うのだろう」と思っているところに、いつまでたっても相手が来ないのでどうしたらいいかと迷っている隙に、自軍はすでに数千里ほど向こうへ行っているということになれば敵は戦えません。こちらが今戦うべきときではないというときは、戦地を変えることが重要です。しかし、今回はいろいろな状況から考えてここで戦わなければいけないとなったら、敵がどうしても失ってはいけないところを遮二無二に攻めていくというようにすれば、敵も戦わざるを得ないわけです。このようなことも戦略論としては大切だと言っているわけです。
この次、少々長くなります。「故に人を形して我無形なれば、則ち我専にして敵分る」ですが、まず陣形の取り方をここで言っているわけです。「人を形して」の人とは敵のことで、敵が陣形をきちんと見せていて、このように相手は陣を張っていると分かりますが、こちらは敵から見て何もしていないように見えます。ただ人がバラバラといるだ...