●敵の強弱、特質を知る
「故に之を策りて得失の計を知り、之を作<おこ>して動静の理を知り、之を形して死生の地を知り、之に角<ふ>れて有余不足の處<ところ>を知る」というところが大事です。
まず、敵の状況はよく分かっていなければ駄目で、「之を策りて」は、敵情を考察して敵の特質を掴むことです。どういうところが備わっているのか、どういうところが備わっていないのか、要するに敵の弱点と長所、そうした強弱、特質など、そういうものをよく知らなければならないということです。
さらに2つ目の「之を作して動静の理を知り」とは、敵にちょっと働きかけて、いろいろな観点から敵が動かざるを得ないような状態にしてみると、敵はどのような反応を示すか、その動静を知ることができるということです。パッと反応して、サッと防御態勢が取れるとか、攻撃態勢が取れれば、これは相当に準備してあると思わざる得ないわけです。そういうことで、動静の模様を知るということです。
3番目の「之を形して死生の地を知り」ですが、こちらがあえて陣形を取ってみせることで、敵はどのように対応するかということが分かれば、「死生の地」、要するに勝敗というものがよく分かるということです。つまり、こちらがよほどの準備をしないと負けてしまうとか、これはそんなに難しくなく勝てるなど、そのような勝敗がよく見えてくるということです。
4番目の「之に角<ふ>れて有余不足」ですが、その3番までやってもまだよく分からないときは、あえて先行部隊をパッと出して攻撃してみることで、それに対して敵がどういう反応を示すかが分かるということです。「之に角れて」というのは、そのような先行部隊を出して攻撃してみるということです。そうすると、「有余不足」というのは兵の過不足が、どこが足りていて、どこが足りていないのか、ということがよく分かると言っているのです。
●老子の「しなやかさ」と孫子の「したたかさ」
その次、「故に兵を形するの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺ふ能はず、智者も謀る能はず」です。
前にも出てきましたが、無形ということの凄さをいうわけです。まず、孫子は無というものをとても多く扱っています。ここで思い出すのが老子であり、老子も無を説いていて、無を扱っています。老子と孫子というのは、ものすごく身近な存在であり、両方がそれぞれ影響を及ぼしているといわれています。
そういう意味で、老子というのはしなやかさを説いているといえますが、しなやかさをもう少し深めると、皆さんよくご存じの「しなやか」が「したたか」になるわけです。それで、したたかになった瞬間に戦略論になって孫子になってくる 、というように受け取っていただいて結構です。
●水の「無有にして無間に入る」が意味するもの
そのような意味で、ここからの文章はほとんど老子から取ってきたのではないかと思えるほど、老子から学びそれを説いているようなところであり、まずこの無形、形がないというところが重要なのです。形がないということを言えば、これは水のことであり、「無有入無間(無有にして無間に入る)」という老子の有名な言葉があります。無有とは何かというと、有、形を持たないことで、水というのは形を持たないからどのようなところにも入ります。とても複雑な形をした容器であっても、どんどん向こうの容器に合わせて入ることができます。どうしてか。形を持たないからです。形があれば入れません。
ですから、水は形がないからどのようなところにも入れます。「無有にして無間に入る」というのは隙間という意味ですが、隙間がないと思うところでさえ入れます。ですから、水が漏れるとか、にじみ出るとか、そういうことすらできるわけです。この精神は何を言っているのかといえば、例えばセールスや販売をする人たちは、顧客のもとに入りたくてしょうがないわけです。そのときに、この「無有にして無間に入る」という、自分の形を持たないから入ることができるという精神を生かせということです。だめなセールスマンは、もう自分の商品の説明ばかりします。これは顧客に対して自分の形に合わせろと言っていることになるわけです。
では、こちらの形がないようにして顧客に入り込むにはどのようにすればいいかというと、顧客の要望をとことん聞くところから始めるということです。「何かお困りのことはございませんか」と、よくできたセールスマンほど質問攻めにするのが基本であり、質問攻めにして相手をよく知るわけです。顧客のほうでもそれはよく知っていますから、その手は食わないとばかりに、「何もないよ、今問題はないから」と応えたところで帰ったらしょうがな...