●軍事レベルの高さを見せつける防御体制
今から150年以上前の佐久間象山も、まず防御の最大のポイントは敵に侮られることがないことだと考えています。侮られてはいけない、馬鹿にされてはいけないということです。
馬鹿にされるというのはどのようなことかというと、軍事担当者がちょっと見て、なぜこんなところに場違いの大砲が据えてあるのかとか、ここのところはこちらから軽く通過できるではないかとか、そのような甘く安易な防備に対しては、現実の問題として、これは防御にはなりません。もっと恐ろしいことは、これは軍事のプロが少ないぞ、軍事に長けてないぞと、軍事学の力量が侮られてしまうことで、そこが一番怖いことなのです。
そういう意味で、気の利いた防御というものがあります。これは全部防御するのではなく、敵が苦労せずに攻めてくるところには、もうすでにきちんと手が打ってあるということです。敵がちょっと苦労するかもしれないと考えて、それでも攻めてきたときを想定して、そこにもきちんと防御がしてあることです。これはどう考えても攻撃できないぞと、敵が諦めるくらいの狡知に富んだ、頭のいい防御体制ができているかどうかということがとても大切です。それをまず、ここで言っているのです。
「昔の善く戦ふ者は、先づ勝つ可からざるを爲して」というように、つまり防御をしっかりして、それで敵が尻尾を出すのを待っている、ミスをするのを待っているというのが、「勝つ可きを待つ」です。したがって「勝つ可からざるは己に在り」であり、それから「勝つ可きは敵に在り」ということです。
さらに「故に善く戦ふ者は、勝つ可からざるを爲し能<あた>ふも、敵をして勝つ可からしむる能はず」と言っているように、敵が勝つことができないように完璧にすることであり、それは、敵が簡単にこちらに勝つことができないようにすることは大変効果的なことなのです。現実問題として、防御ばかりではなく、国家の軍事的レベルを相手に見せつけるという意味でも、防御体制は非常に重要なのです。
そして「故に曰く、勝は知る可くして、爲す可からず」ですが、まず勝つというのは知ることができるということ。それは何かというと、相手を勝てないようにすることができるということです。一方、「爲す可からず」というのは、こうすれば勝てるというのはまずないということなのです。
ですから、戦争が防御と攻撃の2種類で成り立っているとするならば、そのうち自分のほうで徹底的にできるのが防御ですから、防御をしっかりやることによって、あとのエネルギーは全部攻撃にかけられます。そうすると、「攻撃は最大の防御」になるということを、まずこの冒頭で言っているわけです。大変素晴らしいことを忠告しているのだと、こう受け取っていただいたほうがいいと思います。
●攻めに転ずる力が重要な鍵を握る
その次です。「勝つ可からずとは守るなり。勝つ可しとは攻むるなり」ですが、これは「敵が」というのをまず頭に加えていただくと分かりやすいでしょう。敵が勝つことができないのは、こちらの守りが完璧にできているわけです。それから、今度はこちらが勝つことができるというのは、攻めることなのです。ですから、守るということを完璧にして、そちらの勢力を今度は一転、攻めに転ずるべきだということです。「守れば足らず、攻むれば餘<あま>り有り」とは、守ってばかりいるのではだめで、敵が簡単にこちらに攻めてくることができないと分かったら、反転、全勢力を使って攻めるということが重要なのです。
そして「善く守る者は、九地の下に藏<かく>れ」ですが、これは実はすごいことを言っています。ベトナム戦争の時に、ベトナム軍は少数の軍で、米軍は大軍隊です。結果的にはベトナム軍が勝ったわけですが、この時、ベトナム軍はどうしたかです。まさにこのベトナム軍のお家芸である「九地の下に藏れ」というのは、現実に視野の中に敵軍はまったく見えないわけです。
どうしてなのかというと、いくつもベトナム軍の戦略があったのですが、まず第一は何か。ベトナム軍が集結しているということで、米軍が大部隊を差し向けて、その言われているところに行くと、平和な農村が広がっているだけで、農民の男女がニコニコしながら田んぼや畑の作業をやっているわけです。そこへ米軍が来て「どうしたんですか?」と聞いても、「何もありませんよ」と言うだけなので、米軍の兵士は「おかしいな、誤報かな」ということで引き返した瞬間、そのニコニコしていた農民が全員兵士にガラッと変わり、後ろを見せ...