●「計数」的な見地から完璧な準備をする
その次、「善く兵を用ふる者は、道を修めて法を保つ」です。つまり、道というのは道理です。これまでずっと言ってきているように、ここまでやれば、当然あなたの勝ちだというような準備万端整えるというのが道理であり、これが道を修めるということです。それから「法を保つ」の法は、宇宙の法(のり)であって、どう考えてもこちらが勝つという、そういう状況をきちんとこちらに作ってあるかどうかということが重要だと言っているわけです。
「故に能く勝敗の政<まつりごと>を爲す」というのは何かというと、次のところが非常に重要なポイントなのですが、「兵法に、一に曰く度<たく>、二に曰く量、三に曰く數、四に曰く稱<しよう>、五に曰く勝」と、このようなことを言っているのです。これはどういうことを言っているのかというと、要するに「計数」的な見地からしっかり準備をし、現在の状況を分析せよと、こういうことを言っているのです。つまり、ただ優勢ですとか、勢いがありますとか、そういうものではなく、「計数」的にきちんと比較対照して、こちらのほうが勝つという状況にしていかなければいけないわけです。
まず、「一に曰く度<たく>」です。これは温度の度というものであり、ものさしで測ることを表しているのです。ですから、そういう意味では、簡単にいえば、戦場の守りを固めているところから敵までの位置、距離などをしっかりと定めて、こちらのほうが有利ですと「計数」的に言ってくれということです。
それから「二に曰く量」ですが、これは升で量ることです。度はものさしで測ることですが、量というのは升で量るという、物量のことです。武器弾薬、それから兵士の量とか、これは当然多いほうが有利ですから、その量でまず量れということです。
「三に曰く數<すう>」とは、これはとくに兵数のことで、具体的にどういう種類の武器がどのくらいあるのかとか、どのような専門の部隊がどのくらいあるかです。この数というのは、専門集団がどのくらいそろっているのかということをしっかり数えてくれということです。
そして「四に曰く稱<しょう>」は、これは秤で軽い・重いを計ることです。簡単にいえば、将軍、大将の力量などというものも、比較してどちらが上か下かということを、きちんと計れというわけです。
今述べた、一、二、三、四という「計数」が出てきて初めて、「五に曰く勝<しょう>」と、どちらが勝つかということが分かると言っているのです。
●現代のトリアージも孫子の兵法の一部にすぎない
今から3000年ほど前のこの戦略書で、孫子が最も重視しているのは「計数」であるということを、われわれは知らなければいけないのです。何かあっても、例えばウイルスで国民が危機になっているというときも、どういう人間がどのくらい、どういう被害にあるのかということが見えれば見えるほど、われわれは有利になるわけです。ですから、それをなんとか「見える化」するということが、実は重要なのです。なんだかよく分からなくて、どこからどのように感染しているのか分からない、また潜伏期間の人がどのくらいいるのかも分からない、それから重症患者がどのくらいいるのか分からないとか、そういうものはとても戦いにくいのです。
ですから、何か大ごとがあったときに、重度に従って10段階とか5段階にすぐ査定して、それでその患者の体に色のついたテープを貼ります。それは何かというと、一番症状の重い人から徹底的に治療してあげないと、命はどんどんなくなってしまうわけです。そのような「計数」的比較によって、何を優先しなければいけないのかということを出すということは、この3000年の昔から世の中の常識だといっているわけです。それも現在、危ういというのでは、どうしようもないわけです。
さらに、「地は度を生じ」というのは、例えば今、戦いの地にこれから参戦しようというときに、八方から参戦するのですが、そのときに自軍と戦地の距離はこれから参戦しようという敵軍の加勢から見ると、どのようにわれわれが有利なのか、不利なのか、それをきちんと測れということです。つまり、距離や「計数」で正しく出せと言っているわけです。
そして「度は量を生じ」で、したがってこちらは物量で少し加勢しなければいけないわけです。量が決まってくるし、量は兵の数、専門家の数、そのようなものが生じて、「數は稱を生じ」となり、つまりどちらが有利かという比較対照で、そういうものが生ずるのです。さらに「稱は勝を生ず」とは、稱はどちらが勝つかを決定するということです。
先ほどからずっと言っていることをまとめれば、都合のいい見方...