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「満洲」から考える日本とアジア
日本人が知らない満洲・朝鮮・モンゴルの違い…朝鮮のルーツは実は満洲で、モンゴルと満洲を分けるのは降水量
「満洲」から考える日本とアジア(2)満洲・モンゴル・朝鮮の違い
宮脇淳子(公益財団法人東洋文庫研究員)
3.謎の「渤海」…7世紀末から10世紀まで満洲で栄えた渤海と奈良時代以降の日本との交流の背景は安全保障
2026年9月21日配信予定
4.蒙古襲来から清朝建国まで…実は元寇はモンゴル人ではなかった?満洲をめぐる民族興亡史と「漢族」との関係
2026年9月22日配信予定
4.蒙古襲来から清朝建国まで…実は元寇はモンゴル人ではなかった?満洲をめぐる民族興亡史と「漢族」との関係
2026年9月22日配信予定
5.「満洲利権」はなぜ日本の手に渡ったか?…ロシアの極東征服、そして朝鮮の混乱が日本を日清・日露戦争へ
2026年9月28日配信予定
6.日本が中国に出した「21カ条の要求」の罠と必然…不安定な満洲利権を手にした日本が直面した難題とは?
2026年9月29日配信予定
7.軍閥割拠の中国は魑魅魍魎の世界…列強やコミンテルンの思惑も絡む中で翻弄される日本と張作霖爆殺事件の謎
2026年10月5日配信予定
8.なぜ満洲事変が起きたか…激烈な日本排斥と朝鮮人迫害、さらに一方的な条約無効化に直面した日本人の決断と失敗
2026年10月6日配信予定
満洲・モンゴル・朝鮮の違いは何か――多くの日本人はその3者が「全部違う」と考えがちだが、その考え方は全く違うのだという。朝鮮のルーツとされる高句麗も。実は満洲のハルビン(哈爾濱)発祥の狩猟民の国だったのである。かつての日本はこうした現地の文化や境界の曖昧さを理解できず、独自の常識を当てはめたことが失敗の一因となった。日本人の誤解はそれにとどまらない。たとえば日本人は、山や川を境界線と捉えるが、大陸の遊牧民や狩猟民はそのようには考えないという。境界の概念が全く異なるのだ。またたとえば、降水量の違いなどから大興安嶺山脈の西は遊牧民のモンゴル、東は狩猟民の満洲と分かれているという。大陸ならではのダイナミックな歴史と地理的背景を学ぶ。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
時間:7分40秒
収録日:2026年5月13日
追加日:2026年9月15日
収録日:2026年5月13日
追加日:2026年9月15日
カテゴリー:
≪全文≫
●「満洲人」は狩猟民――大興安嶺山脈の東が満洲平野、西がモンゴル草原
―― 宮脇先生、そうしましたら、いよいよ「歴史としての『満洲』」ですね、あの地域がどういう歴史をたどってきたのかという部分からお話しいただきたいと思います。満洲という地域が歴史的にどういう地域だったか、一言でいうと、どういうことになるのでしょうか。
宮脇 「満洲」がその地域の名前になるのは新しくて18世紀ですけれど、日本が満洲国を建てた満洲を、後で振り返って考えると、一番大事なのはまず「モンゴルと何が違うか」ということです。
―― そうですね。
宮脇 日本人が「満洲」と言っている場所は、モンゴル草原ではなくて、もう少し沿海州に近くなるわけです。
―― 沿海州、要するに日本海側ですね。
宮脇 はい。日本海側になるのですけれど、後に「満洲人」と呼ばれる人たち――昔は靺鞨(まっかつ)という人たち――は狩猟民という人たちです。
モンゴルは遊牧民です。なぜかというと、モンゴル草原(今のウランバートルを中心としたあの辺り)は、年間降水量が200ミリ以下だからです。(月間ではなく)年間です。
―― そうですか、それは圧倒的に少ないですね。
宮脇 だいたい200ミリ以下で、(多くても)250ミリ。でも、大興安嶺山脈を越えて東の方に降りてくると、少し降水量が増えるのです。
―― なるほど。
宮脇 500~600ミリぐらいですが、それでも少ない。日本は最近、台風が来ると、(降水量が)一晩で200ミリとか400ミリとか言いますけれど、(モンゴル草原の場合は)年間ですから。でも、年間500ミリ以上になるとどう違うかというと、灌木が生える。
―― 低い木ですね。
宮脇 大きな木は無理でも、木が生える。粗放農業ができる。そうすると、木が生えているところは、羊は危なくて走れないし、馬でも走りにくい。だから、実は騎馬がなくなるわけです。どちらかというと、灌木の林がつながると、馬で走って遊牧する人たちではなくて、歩いて山で毛皮獣や朝鮮人参をとるとか、そういう類のいわゆる狩猟民の土地になるわけです。それが後に「満洲人」と呼ばれる人たち――女真人、靺鞨、勿吉というアムールから降りてくる人たち――(で、遊牧民)との生業の違いといいますか、完全に違うということで、大興安嶺山脈の東が満洲平野、西がモンゴル草...
●「満洲人」は狩猟民――大興安嶺山脈の東が満洲平野、西がモンゴル草原
―― 宮脇先生、そうしましたら、いよいよ「歴史としての『満洲』」ですね、あの地域がどういう歴史をたどってきたのかという部分からお話しいただきたいと思います。満洲という地域が歴史的にどういう地域だったか、一言でいうと、どういうことになるのでしょうか。
宮脇 「満洲」がその地域の名前になるのは新しくて18世紀ですけれど、日本が満洲国を建てた満洲を、後で振り返って考えると、一番大事なのはまず「モンゴルと何が違うか」ということです。
―― そうですね。
宮脇 日本人が「満洲」と言っている場所は、モンゴル草原ではなくて、もう少し沿海州に近くなるわけです。
―― 沿海州、要するに日本海側ですね。
宮脇 はい。日本海側になるのですけれど、後に「満洲人」と呼ばれる人たち――昔は靺鞨(まっかつ)という人たち――は狩猟民という人たちです。
モンゴルは遊牧民です。なぜかというと、モンゴル草原(今のウランバートルを中心としたあの辺り)は、年間降水量が200ミリ以下だからです。(月間ではなく)年間です。
―― そうですか、それは圧倒的に少ないですね。
宮脇 だいたい200ミリ以下で、(多くても)250ミリ。でも、大興安嶺山脈を越えて東の方に降りてくると、少し降水量が増えるのです。
―― なるほど。
宮脇 500~600ミリぐらいですが、それでも少ない。日本は最近、台風が来ると、(降水量が)一晩で200ミリとか400ミリとか言いますけれど、(モンゴル草原の場合は)年間ですから。でも、年間500ミリ以上になるとどう違うかというと、灌木が生える。
―― 低い木ですね。
宮脇 大きな木は無理でも、木が生える。粗放農業ができる。そうすると、木が生えているところは、羊は危なくて走れないし、馬でも走りにくい。だから、実は騎馬がなくなるわけです。どちらかというと、灌木の林がつながると、馬で走って遊牧する人たちではなくて、歩いて山で毛皮獣や朝鮮人参をとるとか、そういう類のいわゆる狩猟民の土地になるわけです。それが後に「満洲人」と呼ばれる人たち――女真人、靺鞨、勿吉というアムールから降りてくる人たち――(で、遊牧民)との生業の違いといいますか、完全に違うということで、大興安嶺山脈の東が満洲平野、西がモンゴル草...
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