かつて外来の思想や西洋の概念を漢字の熟語へ変換・吸収したことで、日本人の抽象的思考力や情報処理能力は大きく高められた。その歴史的な意義はどのようなことだったのだろうか。また、世界で価値観を共有するために、なぜ「理性」と「想像力」が必要なのか。さらに、現代におけるカタカナ語の乱用や漢字軽視の傾向の問題点とは何だろうか。自らの知性を高め、歴史的な知性ともつながり、他者と対話をしていくために大切なことを説いていく。第6話は本講義終了後の質疑応答編。(2026年5月16日開催:早稲田大学Life Redesign College〈LRC〉講座より、全6話中第6話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●日本における儒学の役割や日本流への変容
―― ここからは質疑応答ということでやりたいと思います。
【質問】
講義で儒学の話が出ましたが、日本の歴史の中でソフトとか美意識とかクラフトマンシップといったものの継承と体系化において、江戸期に浸透した儒学(朱子学)が言語化を促すなど大きな影響を与えたのではないでしょうか。その儒学は宗教とは異なる形で日本流に変容されたようにも思えます。こうした「日本における儒学の役割や日本流への変容」についてどのようにお考えでしょうか。
橋爪 日本人は日本語で考えます。日本語はもともと大和言葉で漢字は入っていなかったのです。仏教を取り入れて、儒教を取り入れた時、そのテキストは漢字で書いてあったわけだから、漢字で書いてある中国語を読まなければいけなかったわけです。
それと大和言葉はどういう関係にあるかというと、バイリンガルのような感じになる。でも、音読みの「因縁」とか「縁起」というように、そうやってお坊さんがずっと繰り返し読んでいるうちに、それがだんだんと日本語に入り込んでいくわけです。だから、日本語の語彙が増えていく。
そして、中国語を返り点・送り仮名を使って日本語にして読んでしまうというやり方がありますが、これも繰り返しやっているうちに日本語を変えていくわけです。そこで、大和言葉にあった語彙のかなりのものは失われて、抽象語を中心に漢字の熟語がたくさん入り込んできた。こういうことがまずあります。
だから、儒学を勉強した時、日本人の言語に対する感覚や日常語を使う能力がレベルアップしたというか、ハイブリッドになって、抽象的思考能力が日本人全体でかなり高まったということがありました。
それは初等・中等教育の基本(となっているの)ですが、日本では今でも最初に小学校で「1000何字覚えなさい」と漢字の勉強をして、それが中学校に行くと2000字になったりします。これを覚えるのは大変だけれど、読む能力はローマ字に比べて非常に早いから、生涯を通じてみると、これは大変な情報処理能力で、いいことなのです。
さて、今おっしゃった儒学の話ですけれど、日本の儒学はどういう点が特徴的かというと、(900年~)1000年ほど前に朱子という人がいて、中国社会をベースにして孔子・孟子のテキストを解釈して、中国社会の実態に合うように本を読むということを行っ...