仏教の本質である「覚り」とは、お経をいくら読んでも、それだけでは決してわからず、お釈迦様と同じようにこの世界を自ら考えていくことである。ある意味では、お経はダイエットのマニュアル本のような参考書にすぎず、本来の仏教には完全な「思想の自由」が存在する。それゆえに多くの宗派が生まれた。では、仏教の説く「因果関係」や「空」とはいかなるものか。第3話では、日本に伝来した大乗仏教の中心思想である「空」について整理しながら、日本仏教の歴史的変遷を考えていく。(2026年5月16日開催:早稲田大学Life Redesign College〈LRC〉講座より、全6話中第3話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●覚りとは何か――覚らないかぎり分からない
―― この2つ(仏教とキリスト教)の違う側面が、非常に明らかになってきたかと思います。
そこで、では仏教のほうはどのように考えているのかというところですけれど、ここで先生がおっしゃっているのは、「覚りを開くことができるのですよ」「覚りを開くと世界のことが全部分かるようになるんですよ」「ブッダは覚りを開いた人なのです」「だから、皆さんも頑張れば覚れるかもしれません」という流れになるということです。
では、この覚りとはどういうものなのかということになりますが、そこはいかがでしょうか。
橋爪 お経に「覚りはこうです」と書いてあるかというと、書いていないのです。では何と書いてあるかというと、「あなたも覚れば分かりますよ」と書いてある。だから、覚らないかぎりは分からないのです。困りましたね。
そのお経にもいっぱいあるけれど、お経の冒頭に「如是我聞」と書いてある。「私はこう聞きました」という意味です。お釈迦様がある時、このように言っていたということを弟子である“私”がこういうふうに聞いたので、それを書き留めたノートですということで、お経はすべてこういう体裁になっているわけです。
さて、弟子はいっぱいいるわけです。おそらくお経の70~90パーセントは弟子の創作です。「そういう気がしたから、そう書きました」というわけであって、いくらでもお経は書ける。ですから、内容はてんでばらばらです。
私はこのようによく言います。「覚りを開くとは、『ダイエットに成功しました』ということとよく似ている」。どういうやり方でもいいけれども、達成して成果を出せばいいのです。そうすると、納豆ダイエットとか、バナナダイエットとか、なんとかダイエットという本がたくさん本屋さんで売られていて、何百通りもあるでしょう。
ある人が「私はダイエットの専門家です。ダイエットの本なら50冊も読みました」と言って結構太っていたりしますが、それはダメですね。1冊しか読まなくても、あるいは1冊も読まなくても、ダイエットに成功している人がいいわけです。お経はダイエットのマニュアル本のようなものだから、読むだけ無駄なのです。
だから、読むだけ無駄だと分かれば、もうお経を読んだ値打ちがあるというものです。(つまり)「...