安政7(1860)年に起こった「桜田門外の変」は、江戸幕府大老の井伊直弼が水戸藩等の浪士に襲撃、暗殺された事件である。これ以降、幕府の権威は崩壊し、時代は未曾有の動乱期に入っていく。ここでは桜田門外の変について現代人が感じる素朴な疑問を通じて、井伊の人物像や時代背景を掘り下げていく。(全4話中第1話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
徳川将軍と江戸幕府~井伊直弼編
「桜田門外の変」の謎…井伊直弼の警護に問題はなかったのか
徳川将軍と江戸幕府~井伊直弼編(1)桜田門外の変と井伊直弼の人物像
2.「尊王攘夷か佐幕か」…天皇絶対主義に結びつく厄介な問題
2026年8月21日配信予定
3.安政の大獄は失政!?…井伊直弼は何を見誤ったのか
2026年8月27日配信予定
4.井伊直弼のジレンマ…政治家の実力と同居した致命的な矛盾
2026年8月28日配信予定
時間:9分54秒
収録日:2021年4月12日
追加日:2026年8月20日
収録日:2021年4月12日
追加日:2026年8月20日
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≪全文≫
●桜田門外の変――護衛の「柄袋」の謎と井伊直弼の意思
―― 先生、前回(阿部正弘編)の続きとして、井伊直弼について、ぜひ教えていただきたいと思います。もともと井伊家(彦根藩)は徳川の先鋒で、「井伊の赤備え」という圧倒的に強い武士集団でした。それが、なぜあのような水戸浪士に対抗できなかったのか。
(それにしても)井伊大老自体が非常に不思議な人ですね。ちょうど徳川の官僚主導から大老政治主導に移行するところで、川路聖謨(かわじとしあきら)、永井尚志、岩瀬(忠震)などの優秀な官僚を排斥していく(わけですから)。
(本題に戻って、)なぜ「大老が水戸浪士に襲われるかもしれない」という噂が出ているところで、井伊家の護衛の人たちは「柄袋」をしていたのか――ああいうものは時代性なのか、(あるいは)一つの礼として、そういう形を取らざるを得なかったのか――そのあたりから(お話をお願いいたします)。
山内 たしかにおっしゃるように非常に不思議なことです。(当日は)雪の日でしたから、一般論でいうと、柄袋をしていないと雪や解けた雪水が刀身に滲みてくる。そして、刀を損なう。したがって、それを保護することが大事だというのが理屈になります。
ただし当時、井伊は、まさに水戸脱藩の浪士(志士)たちの重要な暗殺対象になっている。一番(の中心)は、水戸の徳川斉昭の側近であり、彼を支えてきた高橋多一郎という人でした。彼がはっきりと謀議の中心になっているという、とんでもない話です。多一郎は実際に桜田門外にも行っていますので。
ですから、(井伊と)斉昭の関係にも、ずいぶん不思議なことがあって、私にも実は分からないところが多いのです。
(江戸城を)出る時に、お先供はじめ周りを固めている警護の武士たちは当然、柄袋をしようなどとは考えていなかった。しかし、出ていく時に、江戸藩邸の重役の誰かと「この雪だから、そういうことでは刀に障りがくる。保護しろ」「いや、それは駄目です」という問答があったという説があります。結局、そのことに関しては、藩邸の重役の指図に従った。そのために、ああなったという説です。
しかし、それは後付けの説かもしれず、それほどの緊張感がなくて、そういう形を取ったという可能性も残ります。そうだとすると、やはり井伊の意思として、「大老たる者(あるいは井伊家)が、そのような凶暴な浪...
●桜田門外の変――護衛の「柄袋」の謎と井伊直弼の意思
―― 先生、前回(阿部正弘編)の続きとして、井伊直弼について、ぜひ教えていただきたいと思います。もともと井伊家(彦根藩)は徳川の先鋒で、「井伊の赤備え」という圧倒的に強い武士集団でした。それが、なぜあのような水戸浪士に対抗できなかったのか。
(それにしても)井伊大老自体が非常に不思議な人ですね。ちょうど徳川の官僚主導から大老政治主導に移行するところで、川路聖謨(かわじとしあきら)、永井尚志、岩瀬(忠震)などの優秀な官僚を排斥していく(わけですから)。
(本題に戻って、)なぜ「大老が水戸浪士に襲われるかもしれない」という噂が出ているところで、井伊家の護衛の人たちは「柄袋」をしていたのか――ああいうものは時代性なのか、(あるいは)一つの礼として、そういう形を取らざるを得なかったのか――そのあたりから(お話をお願いいたします)。
山内 たしかにおっしゃるように非常に不思議なことです。(当日は)雪の日でしたから、一般論でいうと、柄袋をしていないと雪や解けた雪水が刀身に滲みてくる。そして、刀を損なう。したがって、それを保護することが大事だというのが理屈になります。
ただし当時、井伊は、まさに水戸脱藩の浪士(志士)たちの重要な暗殺対象になっている。一番(の中心)は、水戸の徳川斉昭の側近であり、彼を支えてきた高橋多一郎という人でした。彼がはっきりと謀議の中心になっているという、とんでもない話です。多一郎は実際に桜田門外にも行っていますので。
ですから、(井伊と)斉昭の関係にも、ずいぶん不思議なことがあって、私にも実は分からないところが多いのです。
(江戸城を)出る時に、お先供はじめ周りを固めている警護の武士たちは当然、柄袋をしようなどとは考えていなかった。しかし、出ていく時に、江戸藩邸の重役の誰かと「この雪だから、そういうことでは刀に障りがくる。保護しろ」「いや、それは駄目です」という問答があったという説があります。結局、そのことに関しては、藩邸の重役の指図に従った。そのために、ああなったという説です。
しかし、それは後付けの説かもしれず、それほどの緊張感がなくて、そういう形を取ったという可能性も残ります。そうだとすると、やはり井伊の意思として、「大老たる者(あるいは井伊家)が、そのような凶暴な浪...