国共内戦で、蒋介石軍は共産党軍に押され敗走に次ぐ敗走に陥った。その窮地に、元陸軍中将の根本博は台湾へ渡る決意を固める。終戦時に、蒋介石政府による邦人送還の恩義を返すためである。当時、日本はGHQの支配下にあり復員軍人は厳しく監視されていたが、根本は釣りの装いで家を出て密航を敢行する。資金難の中、粗末な焼玉船で死線を越え、二度の座礁という危機を乗り越えて台湾へたどり着くが、密航者として逮捕され投獄されてしまう。その後、根本はどうなったのか。『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』の著者・門田氏が当時の緊迫した状況を赤裸々に語る。(全5話中第1話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
昭和の名将・根本博…台湾での恩義の戦い
「国共内戦」危機の台湾…根本博の密航と涙で迎えた中国人将軍
昭和の名将・根本博…台湾での恩義の戦い(1)危機の台湾への密航
3.共産軍2万を金門島で殲滅…ただし一般人の命を守る軍人の本義を重視
2026年8月7日配信予定
4.根本博の功績は台湾では消されていた…取材でいかに正史を変えたか
2026年8月13日配信予定
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2026年8月13日配信予定
5.大義にもとづく「個人の決断と行動」が歴史を動かす…名将の教訓
2026年8月14日配信予定
時間:17分27秒
収録日:2019年7月30日
追加日:2026年8月6日
収録日:2019年7月30日
追加日:2026年8月6日
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≪全文≫
●「台湾を助けてください」…必死の訴えを快諾した根本博
門田 (先のシリーズ講義で見てきた「内蒙古での終戦後の戦い」を経て)根本博が戦後、昭和21年(1946年)の8月に無事、日本に帰るわけじゃないですか。その後、日本はもうすっかり変わっていますから、(その時、彼は)ただの初老の男ですが、すると、昭和23年(1948年)の11月から淮海戦役(わいかいせんえき)が起こるわけです。これがいわゆる国共内戦の関ヶ原の合戦です。
―― 中華民国の蒋介石と中国共産党の毛沢東が内戦を行ったと。
門田 国共内戦の“関ヶ原”です。その淮海戦役ですが、兵力はというと、蒋介石のほうが90万(人)、毛沢東のほうは60万(人)、合わせて150万(人)が激突する戦いです。だから、淮海戦役の兵力はちょうど関ヶ原の合戦の十倍です。15万(人)ではなく、150万(人)の戦いなので、兵力が10倍ですから、戦いも2カ月かかっているわけです。
だから、昭和23年の11月から2カ月かかっているから、11月、12月と(続いて)、1月には決着がつくのですけれど、これがいわゆる勝敗を決めた関ヶ原の戦いなのです。中原野戦軍の劉伯承と鄧小平。将軍が劉伯承、政治委員が鄧小平ですけれど、両方とも四川(省出身)です。四川の劉鄧コンビなのだけれど、60万人の兵力にもかかわらず、90万人を蹴散らしたのです。そこで50万人の死傷者を出して、蒋介石軍は敗走するということで、これで決着がつきました。
そのニュースを新聞で見ながら、根本元中将は「これはいかん」と。恩義を受けたあの人たちが今まさにやられようとしているということで、動き出すわけです。
早坂 邦人を帰す時に協力してくれた蒋介石(たちの恩義を返すために)。
門田 要するに、シベリアに抑留したスターリンのようなやり方ではなく、(邦人を)きちんと帰してくれた蒋介石たちが今、敗れようとしているということで、「その時の恩義を俺は返さなければいけない」という発想です。
けれど、北支那方面軍の司令官の時には(根本の下に)30万(人)の部下がいたから、恩義を返すこともできたかもしれないけれど、戦後の昭和23年から24年にかけてはただの初老のおじさんですからね。そうすると、たった一人で恩義を返しに行くということで、その発想がまたすごいのです。
早坂 (根本はその時、)平穏な日々を家族とともに過ごしているわけで、そ...
●「台湾を助けてください」…必死の訴えを快諾した根本博
門田 (先のシリーズ講義で見てきた「内蒙古での終戦後の戦い」を経て)根本博が戦後、昭和21年(1946年)の8月に無事、日本に帰るわけじゃないですか。その後、日本はもうすっかり変わっていますから、(その時、彼は)ただの初老の男ですが、すると、昭和23年(1948年)の11月から淮海戦役(わいかいせんえき)が起こるわけです。これがいわゆる国共内戦の関ヶ原の合戦です。
―― 中華民国の蒋介石と中国共産党の毛沢東が内戦を行ったと。
門田 国共内戦の“関ヶ原”です。その淮海戦役ですが、兵力はというと、蒋介石のほうが90万(人)、毛沢東のほうは60万(人)、合わせて150万(人)が激突する戦いです。だから、淮海戦役の兵力はちょうど関ヶ原の合戦の十倍です。15万(人)ではなく、150万(人)の戦いなので、兵力が10倍ですから、戦いも2カ月かかっているわけです。
だから、昭和23年の11月から2カ月かかっているから、11月、12月と(続いて)、1月には決着がつくのですけれど、これがいわゆる勝敗を決めた関ヶ原の戦いなのです。中原野戦軍の劉伯承と鄧小平。将軍が劉伯承、政治委員が鄧小平ですけれど、両方とも四川(省出身)です。四川の劉鄧コンビなのだけれど、60万人の兵力にもかかわらず、90万人を蹴散らしたのです。そこで50万人の死傷者を出して、蒋介石軍は敗走するということで、これで決着がつきました。
そのニュースを新聞で見ながら、根本元中将は「これはいかん」と。恩義を受けたあの人たちが今まさにやられようとしているということで、動き出すわけです。
早坂 邦人を帰す時に協力してくれた蒋介石(たちの恩義を返すために)。
門田 要するに、シベリアに抑留したスターリンのようなやり方ではなく、(邦人を)きちんと帰してくれた蒋介石たちが今、敗れようとしているということで、「その時の恩義を俺は返さなければいけない」という発想です。
けれど、北支那方面軍の司令官の時には(根本の下に)30万(人)の部下がいたから、恩義を返すこともできたかもしれないけれど、戦後の昭和23年から24年にかけてはただの初老のおじさんですからね。そうすると、たった一人で恩義を返しに行くということで、その発想がまたすごいのです。
早坂 (根本はその時、)平穏な日々を家族とともに過ごしているわけで、そ...