●資本主義はそれまでの経済とどう違うか
―― 皆さま、こんにちは。本日は柿埜真吾先生に「経済学史」というテーマでお話をいただきたいと思います。柿埜先生、どうぞよろしくお願いいたします。
柿埜 よろしくお願いいたします。
―― 柿埜先生は、PHP新書から『ミルトン・フリードマンの日本経済論』と『自由と成長の経済学 「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』を発刊されています。
今回、「経済学史」というテーマでお話を伺いますが、問題意識としては、現代の経済を読み解く上で役に立つ経済学史とはどういうものなのか、あるいは日本で教科書に載っている経済学説の流れも大切ですが、それ以外にどのような点を見ておけばいいのか、ということなどをお聞きしたいと思います。
まず、概略の講義になります。「産業革命」「資本主義」が18世紀を中心に始まります。ひと言で資本主義といいますが、資本主義はそれ以前の経済のあり方とどう違うのでしょうか。
柿埜 資本主義という言葉は、なかなか難しいものです。資本主義がそれ以前の経済と何が違うかというと、それ以前の経済は、ある意味で自給自足的な経済体制でした。その自給自足的な経済の上に、商業などといったものが少し乗っかっている。そういうものはたいていが政府のつくった特権的な企業が独占していました。そういう体制だったのです。
そこに、新しい企業が出てきて、消費者に対して自分の商品を売り、他の企業と自由に競争するようになります。これが基本的に資本主義です。
市場というものがあり、その市場で企業が消費者を獲得することを目指して、消費者に気に入ってもらうような商品を売る。そういった経済は「市場経済」といいます。つまり、資本主義は基本的には市場経済ということになります。
―― それこそ大昔から、例えば町の市場のようなものなどはあったでしょうが、その町の市場のようなものと、市場経済でいう市場とは、何がどのように違うのでしょうか。
柿埜 どこから資本主義が始まったかということについては、いろいろな説があるので、非常に難しい問題です。中東のスークのようなものがあったり、日本でも昔はそういった市が立ったりしていたわけですが、それと今の市場では、基本的なメカニズムは一緒です。ただ昔の市場は、非常に規制された市場でした。それが経済全体を動かすまでには至っていなかったのです。
今も言いましたが、政府が特権を与えた企業が支配していたり、あるいは本当にローカルなレベルの市場しかなかったのです。ですが、新しい企業が出てきて、しかも労働者や工場設備といったものを使って、大規模な市場経済活動を行うようになったのが18世紀からです。それまでの特権的な企業や、政府の支援を受けているのではない企業が出てきた、という点が大きな違いです。
つまり、規模の違いと、きちんとしたルールの下で企業が競争できる自由競争をすること、そこが大きな違いです。
●必ずしも「古典派経済学は古い」わけではない?
―― その時代に出てきた経済学が一般に「古典派経済学」と呼ばれるもので、アダム・スミスの「神の見えざる手」が有名です。後の深掘り講義では、その内容について詳しくお聞きします。これは非常に難しいとは思いますが、「古典派経済学」とは何か、ひと言でいうとどのような経済学だったのでしょうか。
柿埜 今、「神の見えざる手」とおっしゃいましたが、スミスは「神の」とは言っていません。「見えざる手」としか言っていない。このあたりについては、また後でお話しします。
それまでの経済学は、産業革命以前の社会と対応していて、「政府が規制しなければ私利私欲がはびこってけしからん。政府が規制して、きちんとした社会をつくらなければいけない」という考え方でした。けれども、古典派の経済学は、基本的には「皆の自由に任せて市場で競争することによって、社会全体が豊かになっていく」という考え方です。
―― そのような形で経済が進んできました。しかし、よく言われるように、1929年に大恐慌が起きて、それら市場経済に限界があるのではないかといわれ、ケインズ政策や、ソ連など共産主義の計画経済などが出てきた。というのが教科書的な理解になりますが、この部分はどのように理解すればいいのでしょうか。
柿埜 それについて、ケインズには確かに一理あって、彼の言い分にも大事な点はあります。ですが、実は大恐慌は、「古典派的な発想が間違っていた」というより「当時の経済政策が間違っていて、その間違いに皆が気づかなかったことによって『市場経済が間違っているのではないか』という誤った方向に社会が行ってしまった」ことが大きな原因...