●「大きな政府」に異を唱えたフリードマン
―― ナチスや共産主義にせよ、ケインジアンにせよ、戦後の大恐慌以降は「大きな政府」の傾向が続くことになります。流行り、と言うと怒られるかもしれませんが、それが1つの潮流になってくるわけですね。それに異を唱えたのが、ミルトン・フリードマンです。
柿埜 先ほどもお話ししましたが(第11話)、オーストリア学派の人たちはこの間もずっと異議を唱えてはいます。けれども、もはや誰も見向きもしない少数派に転落してしまったのです。大学に就職するのも苦労するようなレベルにまで落ちぶれてしまって、全然相手にされなくなってしまいます。
そのような中で、「自由市場はやはり大事だ。政府が介入したら最終的にうまくいく、などということはない」ということを指摘したのが、20世紀最大の経済学者ともいえるミルトン・フリードマンです。
フリードマンはどうやって「政府介入がうまくいかない」ことを主張したか。これは非常に簡単です。実際のデータや歴史的事実を見て、それを統計的に検証し、うまくいっていないことを示したのです。
―― 実証主義ということですね。
柿埜 そうです。フリードマンの大きな特徴は、抽象的な理論(地に足のついていないような理論)を唱えるだけではなく、それが実際に使えるかどうかという「経済学は現実を改善するための道具だ」という発想でものごとを見ている点です。彼は、歴史的な実例などを見ながら、実際に政府が介入してうまくいっていないことを示していきました。
フリードマンは、シカゴ学派という、シカゴ大学を中心とする経済学者のグループの一員です。これはある意味で「シカゴ的な伝統」ということができると思いますが、現実の経済政策に生かすために事実を検証した上での理論が、彼の理論です。後で言いますが、これはオーストリア学派とかなり違う点です。
―― オーストリア学派はどちらかというと、思弁的、哲学的だったということですね。
●恒常所得仮説――公共事業の経済効果は大きくない
柿埜 フリードマンの研究は、イデオロギー的な何かというよりも、普通にやっていったらそうなるという話です。ケインズ的な発想では、「政府が支出を増やせば、その支出を受け取った人たちは――例えば公共事業を行って、その公共事業の給料を受け取った人は――、その給料を何かにパーッと使って、経済が大きくなっていく(これを「乗数効果」といいます)」という発想をしていました。けれども、本当はそうではないことを指摘したのが、「恒常所得仮説」の考え方です。
―― なるほど。ケインズの話はよく聞きますけれども、恒常所得仮説とはどういうものなのですか。
柿埜 ケインズの発想では、現在の所得が増えたら人々は支出を増やすわけです。けれども、人間はそれほど短期的な視野しかないのではなく、長い目で見て行動しています。ですから、今、政府からお金をもらったら(皆がすぐに)パッと使うかといえば、使いません。将来の自分の所得を考えて、長期的に得られるだろう所得(これが「恒常所得」です)を見ながら、支出を増やす決定をするわけです。
例えば、新型コロナウイルス感染拡大に伴う給付金などがそうでしたが、給付金を受け取ったら皆が(すぐに)パッと使ったかといえば、大部分が貯蓄していますよね。これは要するに、長期的にずっと続くわけではないということを皆が認識しているからです。
こう考えると、ケインズが考えるほど(ケインズ自身はそれほど簡単には考えておらず、ケインジアンというべきですが)公共事業の効果は大きくない、ということを示したのです。
ケインズ的な消費関数で考えていくと、経済はだんだん政府が大きくなっていかないといけないというような理不尽な結論が出てくるのですが、そういった変な結論を全部排除した結果になる理論を、フリードマンは提唱したわけです。
しかも、これはケインズ的な消費関数よりも、はるかに現実の当てはまりが良かった。実をいうと、現在の所得だけに基づいて消費しているという仮説で説明しようとすると、いろいろとつじつまの合わないことが出てくるのです。それを全部説明できる理論が、フリードマンの理論だったのです。
これは、私の『ミルトン・フリードマンの日本経済論』(柿埜真吾著、PHP新書)で詳しく説明しています。これが1つ目の、「財政政策は思われているほど効果がない」という話になってくるわけです。
●マネタリズム――金融政策の重要性を指摘
柿埜 もう1つ、フリードマンの決定的な貢献といっていいものが「金融政策の復権」です。「マネタリズム」といって、貨幣数量理論の現代版といっていいものです。
「貨幣は、短期的には景気にすごく影響を...