●結局、ケインズの理論とはどういうものだったか
―― それで、実際そういうことになってくると当時、まさに渦中、状況が分からない中でいろいろな議論が出てくる。そこで、かの有名なケインズが出てくるのですね。
柿埜 そうですね。
世界恐慌がひどくなってきて、FRBはきちんとやっていると当時は信じられていましたから、それでもうまくいかないとなると、「これは新古典派を含めた古典派的な発想がそもそも間違いなのではないか。市場経済はうまくいかないのではないか」という発想が強くなってきます。その結果、ケインズ経済学が出てきますし、マルクス主義に関しても知識人や学生の間で一世を風靡するわけです。
ケインズ理論は何が問題か。結局、彼の理論は「経済全体の景気の変動要因は投資によって決まってくる」ということを主張したものでした。「市場経済は本質的に不安定性を持っている。その不安定性を克服するためには財政金融政策、あるいはもっと介入主義的な政策をどんどんやらなければいけない」というのが当時、ケインズの特に重要だと思われた主張です。
―― 財政金融政策というと、政府がお金を出すということですね。
柿埜 そういうことです。だから、ケインズの『一般理論』の最後のほうでは、「投資の社会化」といって、投資の量などを政府が管理するという、かなり計画経済的な発想も出てきます。ケインズ自身、もともとどちらかというと貨幣数量理論が正しいと思っている人でしたが、「何かうまくいかない。もうダメなのではないか」となって、非常に介入主義的な方向に向かうわけです。
●宣伝と実態は大違い…ソ連の「プロパガンダ」を信じた人々
―― 一方で、人気のあったマルクス主義もはやってくるし、さらにオーストリア学派の主張もまた注目を浴びることになったのでしょうか。
柿埜 バブルが崩壊して景気が悪くなり、「そもそも市場経済はバブルが起こったり、景気が変動したりする非常に悪い体制だ」ということで注目を集めたのはおかしな話なのですが、その1つは「市場経済なんてやめてしまえ」というマルクス主義です。マルクス主義というより、当時のソ連はマルクス主義経済学の実験場で、これが非常にうまくいっていると本人たちは宣伝したのです。
―― プロパガンダでガンガンやっていましたね。
柿埜 皆、それを信じたのです。例えば「ソ連では飢饉が起こっていない」と言っていましたが、実際には大飢饉が起こって、かなりの人数が死んでいました。
―― ウクライナは特にひどかったのですね。
柿埜 そうです。ウクライナもひどかったのですが、カザフスタンでも農耕に向いていない人、経験したことのない人たちに無理矢理農耕をさせて、人口の40パーセントが餓死しています。もう滅茶苦茶だったのですが、当時、このようなことは誰も知りませんでした。
また、スターリンは「うまくいっている」と言って、知識人を豊作の村(実際はあたり一帯から、ない穀物をかき集めただけだったのですが)に案内する。西側の知識人は「素晴らしい。大豊作だった」と言って自国に帰っていく。皆、信じたのです。「ソ連は不況を経験していない。素晴らしい経済計画で大成長している」と言われたのですが、実際はまったくのデタラメでした。
当時のソ連は西側の国から技術を輸入して発展していた地域だったので、西側が大恐慌で停滞した期間は、マイナス成長というほどではないですが、まったく成長していませんでした。だから、ソ連も景気変動と無縁だったわけではないし、無縁であっても縁があっても、ものすごく貧乏な国だったのです。食料も足りていない。そもそも景気が悪いどころか、餓死する危険がある、そういう国だったのです。
ところが、当時の人たちは宣伝に騙されて、「とてもうまくいっている」と信じてしまいました。知識人もそうでした。これは実は、現在も同じことがいえます。「だいたい民主主義の国は新型コロナウイルスの対応に失敗した。社会主義や権威主義の国は新型コロナウイルスにうまく対応できた」と。
―― そういうことが一時期ありましたね。
柿埜 今、そういった論調はずいぶん収まってきましたが、一時、そう言われました。あれも同じですね。
基本的に民主主義の国は、言いたいことを何でも言えます。何でも言えるから、「うまくいっていない」と不安を言う人もたくさんいて、うまくいっていないように見える。ですが、全員がそろった声で発言しているように見える国は、うまくいっているのではなく、恐ろしい国だと思ったほうが正しい。
実際、この時もそうだったのですが、皆うまくいっているとナイーブに信じてしまいました。実際は情報統制と...