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「貨幣量と物価」の現代経済史…そしてスタグフレーション

本当によくわかる経済学史(14)ケインズ政策の限界と転換

柿埜真吾
経済学者/思想史家
情報・テキスト
フリードマンの研究によって次第に金融政策の重要性への認識は高まってきたものの、いまだケインズ政策への支持は強かった。だが、ケインズ政策がうまくいかない局面が多くなっていく。ここでは、サッチャー政権時のイギリスやレーガン政権時のアメリカが経済復興を遂げた裏側に、ケインズ政策から金融政策への転換があったことを解説する。(全16話中14話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツTV編集長)
時間:09:49
収録日:2022/06/08
追加日:2023/03/08
≪全文≫

●長い目で見ると貨幣の量と物価はみごとに比例している


―― 次に表(米国の貨幣と物価 〈1870-2019〉)をつけていただいていますが、これはどういうものでしょうか。

柿埜 マネタリズムは「長期的には貨幣が物価を決めている」という考え方であるという話をしましたが、この図を見ていただければ分かると思います。GDPデフレーターとは広い意味の「物価」です。M2とは広い意味の「貨幣の量」を測っているものです。

 貨幣の量の伸び率が高い時期は、1940年代、1970年代、あるいは1910年代です。1940年代と1910年代は戦争があったからですが、1970年代は単に金融政策の失敗です。後で説明するスタグフレーションの時期です。こういう時期には、物価が非常に高くなっていることが分かります。つまり、貨幣の伸び率がすごく高いときには、物価が上昇している。インフレになっているわけです。

 これに対して、貨幣の伸び率が非常に低い時期はどうかというと、すごく低いのは1930年代、さきほども出ました1870年代、1920年代といったところですね。貨幣の伸び率がすごく低くて、物価がデフレになっている時期です。先ほど(第4話)1870年代の不況は金本位制にいろいろな国が入って、世界的にデフレになったからだと言いましたが、この図の通り、貨幣の量が少なくてデフレになっていることが分かります。1920年代、1930年代は大恐慌です。

 短期的に見れば、貨幣の量と物価はそれほど密接ではありません。これはフリードマンも言っています。普通に見て分かるものではないのですが、長い目で見ると、このようにとても見事に比例しているわけです。この関係は、2010年代、2000年代(傾向線の真ん中にあります)、現在もあまり変わっていません。

―― 続いて日本ですね。

柿埜 日本の1940年代は統計の関係上(戦争があって)きちんとしたデータがありません。それと、もう1ついえば、物価が爆発的に上昇しているので、この1枚のグラフに収めようとすると、とんでもないところに点を打たなければならないのです。

 貨幣の量の増加率が非常に高かった時期(1910年代、1970年代、1950年代といったところ)は、やはりインフレが非常に高くなっていることが分かります。これに対して貨幣の量があまり増えなかった時期、1920年代、それから1990年代や2000年代では、貨幣(M2)の増加率が非常に低くなっていることが分かります。この時期は予想通り、どちらかというと物価の上昇率が低く、デフレ的になっているわけです。

 要するに、日本の場合もアメリカの場合も、他の国も(イギリスやフランスの図も載せることはできますが長くなるからやめています)、物価と貨幣の関係は密接であることが分かります。つまり、長い目で見たら「物価を決めているのは、やはり貨幣だ」という話は正しいということです。

―― これらデータから一目瞭然だということですね。

柿埜 こういう研究を、フリードマンは次々と行っていったわけです。

―― まさに実証主義的にやっていったのですね。


●ケインズ政策の「財政金融政策への過信」が招いたスタグフレーション


―― もう1つが、ケインズの政策とスタグフレーションです。

柿埜 フリードマンの一連の研究(先ほどの大恐慌の研究などは1963年に出ています)が出てきたことによって、「金融政策は確かに重要だ」という認識が次第に高まってきます。それから、政府の介入を次々と行えばうまくいくという発想は、それに基づいて行った戦後の開発計画などが軒並み失敗してしまったので、「もしかしたら正しいかもしれない」と自由市場の重要性を強調する意見に賛同する意見も出てきてはいました。ですが、やはり基本的には「ケインズ政策がうまくいく」という発想が強かったのです。ところが1970年代に入って、この発想は事実と矛盾を来すようになってきます。

 どうなったかというと、ケインズ自身というよりはケインジアンが問題でした。ケインズ自身は明白に言っていないのですが、ケインジアンの人たちは「金融政策は多少重要かもしれないけれども、とにかく物価を上昇させる。ちょっとしたインフレを起こして、それで経済をどんどん刺激すれば、失業(率)も下がるし、景気も良くなる」と言っていました。

 これは、短期的には正しいのですが、「長期的にもこれだけで景気をコントロールできる。だから政府の財政金融政策で景気を完全にコントロールできる」と過信していたのです。そして景気が悪いときは、とにかく財政金融政策を次々と行っていたら、やり過ぎてしまったわけです。

 それでイギリスでは、戦後の労働党が(保守党もかなりそうなのですが...
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