●スタグフレーションが与えた影響
―― 少し話が戻りますが、ケインズ政策が第二次大戦後に進み、いってみれば「終わりの象徴」になったのがスタグフレーションでした。これをもう少しご説明いただくと、どういうことになるのでしょうか。
柿埜 スタグフレーションとは、「停滞(stagnation)」と「インフレーション(inflation)」を合わせた造語です。ケインズ経済学の主流だった当時のオールドケインジアンの人たちの考えでは、「物価の上昇と深刻な不況が並存するということはないだろう」と思っていたのです。ところが実際には、貨幣供給量を増やしまくった結果、急激なインフレになったけれども、景気も良くないという状況が並存する事態が起こってしまったのです。
当時のケインズ政策を提唱した人たちは、「これは一時的だ」「物価統制をするべきだ」「企業が悪い」「労働組合が悪い」などと滅茶苦茶なことをたくさん言ったのですが、結局、全然うまくいきませんでした。
だから、「金融政策を物価の安定に割り当て、他は自由市場に任せる」ほうがむしろ良いというフリードマンの考え方を、皆が受け入れるようになってきます。世界各国が金融引き締めを行い、スタグフレーションは実際に収まったということで、フリードマンの考え方は正しかったということがおおよそのコンセンサスになります。
ちなみに、インフレの抑制に一番成功したのは、実は日本です。その後、デフレになってしまったことを考えると残念な話ですが、当時は大成功の例でした。
そして、だんだんと大きな政府から小さな政府へという流れが起こるわけですが、若干、脱線といっていいものが1つあります。それが「新しい古典派(New Classical School)」です。
これは「新古典派(Neo classical School)」と間違えやすいのですが、どういう考え方かというと、完全競争と価格伸縮的(要するに、価格も自由に設定できる)というモデルです。経済がかなり競争的な状態にあるモデルを使い、かなり自由放任主義的な主張をするグループです。
その主な理論として、「合理的期待形成の理論」があります。これ自体はそれほど間違ってはおらず、その後のニューケインジアンも取り入れている理論です。「人々は過去の出来事を延長して考えるのではなく、いろいろな情報をきちんと合理的に手に入れ、意思決定を行っている」と。ミクロ経済学では当たり前の感覚です。これを若干、極端に解釈したのが合理的期待形成理論の人たちで、その後はニューケインジアン理論にも取り入れられるようになっていきます。
もう一つ、「実物的景気循環理論」が出てきます。これはシュンペーターに戻ったような話なのですが、「景気変動の原因は全て技術進歩で、景気は技術によって変化している。マクロ経済政策はほとんどが無効だ。金融政策も財政政策もいらない」というわけです。
はっきりいって、これはかなり極端な考え方で、さすがにそれは違うだろうという人たちが(1990年代以降は特にそうですが)マネタリズムを取り入れた形のケインズ経済学を展開させるようになります。それが、先ほど(第15話)お話ししたニューケインジアン理論です。彼らは「短期はケインズ的な状況がたまにあるけれども、長期的には古典派的な発想でいくことができる」という穏健な中道派です。現代の主流派はこれですね。
●主流派と異端派は何が根本的に違うのか
―― 今のような流れを見ていくと、どういう主張がどういう背景で出てきたのか、この経済理論はどういう背景があって唱えられているのだろうかということが見えてくる。すると、今の経済政策を考える上でいろいろなヒント、糸口があるような気がしますね。
柿埜 どちらかというと主流派のメインストリームの理論と、異端派の理論とは結局、何が違うのか。古典派的な発想はどうしてずっと生き残ってきたのか。労働価値説など間違った部分は全部なくなっていきましたし、ずっと生き残っているのは「自由市場が基本的にはうまくいく」というものと、「貨幣数量的な発想が基本的には景気の変動を説明している」というものです。なぜこれがずっと生き残っているかというと、実態に合っているからです。
どうして主流派は柔軟に生き残ってきたかといえば、オープンな態度でいろいろな理論に接しているからです。1人の教祖がいたり、そういうものを崇拝していたり、そういうことがないわけです。要するに、「理論的にこれはどうでしょう」という部分に集中していることが、ずっと生き残っている大きな理由です。
古典派が間違っていると思われた限界らしきものは、よくよく調べてみると結局...