●幕末のインフレの実態とその功罪
さて、幕末のインフレですが、それ以外にも黒船騒動からの国防意識の高まりで、物資の供給が軍事品に偏ったこと、武器などを買い求める人々が大量に発生したこと、開国により海外勢が日本の物資、例えば生糸などを高値で購入したこと、震災、疫病の発生で生産力やサービスの提供が落ち込んだことなどの理由もあったでしょう。これら複合的な要因によって、幕末にインフレが発生します。
それでは、幕末においてどの程度のインフレが起こったのでしょうか。
こちらの、幕末の物価指数の表をご覧ください、
先ほどから申し上げているように、金と銀の相対的な価値が変化したので、どちらを基準にインフレ率を計算するかで違いがありますが、ペリー来航の1853年頃と幕末の1867年を比べると、銀基準(オレンジの線)で8倍ほど、金基準(グレーの線)でも4倍ほどの物価高になっていることが分かります。そして、米(青の線)の価格ですが、これは10倍をはるかに超える価格になっています。
武器の売買や金銀の両替を担う豪商、生糸の生産者、仲買人などはかなり儲かったと思います。渋沢栄一の生家は養蚕(ようさん)農家でしたので大層儲かったことでしょう。
また、私の生まれ故郷の前橋では、生糸商人の下村善太郎が大変な富を築き、厩橋城再築の資金を提供し、さらに初代前橋市長になりました。なぜこのように短期間で財を成すことが出来たのか少し不思議に思っていたのですが、生糸が海外で人気があったという以外に、インフレによる価格上昇分の儲けが大きかったと考えています。
一方、収入が決まっている武士や劇的に生産量を増やせない農民、街に住む一般的な職人、商人などは収入が上がらず、食べるのにも困ったことになったと思います。幕末には「ええじゃないか」という民衆の踊りが流行したといわれていますが、これなども困窮して明日も分からない民衆の怒りや嘆き、そして開き直りが背景にあると思います。
なんといっても、武士や農民は江戸幕府の重要な支持基盤です。その重要な支持基盤の人々が困窮したのは幕府にとって痛手だったでしょう。
こうした状況下で、海外、朝廷、そして力をつけた雄藩への対応で権力に陰りが出てきた幕府でしたが、...