「林保源」の名で国民党軍・湯恩伯司令官の「顧問」となり、対共産党戦の作戦を立案した根本博。根本は商業都市・厦門(アモイ)をあえて放棄し、金門島に敵を誘い込んで退路を断って殲滅する「厳島の戦い」を模した戦略を献策する。この作戦は見事に成功し、共産軍2万を殲滅する完全勝利(古寧頭戦役)を収めた。だが一方で根本は、功を焦る軍を制して村人を巻き添えにすることを防ぎ、「一般の命を失わせてはならない」という軍人の本義を貫いた。現在も台湾領となっている金門島の礎を築いた、名将の劇的な戦いを追う。(全5話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「顧問閣下」として、「林保源」として
門田 (根本博が台湾に)とにかくやっとたどり着いて、そういう感激の対面があった。それで蒋介石に会わせてもらうわけです。だから、蒋介石に会ったのが二度目です。彼が北支那方面軍司令官だったときに会っていますので、蒋介石はものすごく感激するわけです。
それで、金門戦争というか、対中国共産党との戦いに参加してくれますかと(蒋介石に問われて)、「はい、そのために来ました」と答える。(そして、根本博は)「林保源」という名前をもらって国民党軍に入って、金門島に赴きます。これはもう劇的といえば劇的です。
その時は福建で戦争をしていますから、どこでどう戦うか、こういう名将にとっては視察すれば一発で分かります。それで、湯恩伯(とうおんぱく)将軍もまた日本通なのです。明治大学出身で、日本語が堪能な司令官です。湯恩伯の軍事顧問として入って、その作戦を考えるのですけれど、厦門(アモイ)、金門島、そして福建をずっと見て回って、すぐに「司令官、これは金門島で戦わなければいけません」と(伝えると)「いや、厦門を放棄するわけにはいかない」と(返ってくるから)、「いや、厦門を放棄しなければ、台湾が落ちます」と(答えます)。
―― 補足すると、台湾は沖合にあって、厦門は(中国)大陸の中では非常に有名な商業都市というか港湾都市です。
門田 どういうことかというと、(そのあたりは)湾になっているわけです。金門島があって、金門島と大陸との間は2キロなのですけれど、台湾との間は180キロあるわけです。90倍離れているわけです。
そうすると、金門島の横に厦門があるわけです。これは鄭成功(17世紀、明代)の時代から貿易港で、当時でも20万の人が住んでいたようです。厦門は当時、島なのですけれど、今では本土との間に橋が架かっています。この厦門は商業貿易都市だから、当時でも20万人が住んでいるところです。「ここを死守しようと思って戦ったら、180キロ離れた本体の台湾が落ちます。だから、ダメです」ということで、金門島に敵をおびき寄せて、ここで一挙に殲滅するしか勝つ方法はありませんという献策をするわけです。
―― 蒋介石は、もともと厦門を守るつもりだったのですね。
門田 もちろんです。蒋介石は、厦門が落ちたら、金門島を守ってもしょうがないと思っていました。
早坂 厦門を...