奈良・平安時代、日本と渤海は安全保障や交易を目的として活発に交流し、200年間にわたり双方から多くの使節が派遣された。菅原道真が編集した『類聚国史』をはじめとする日本の史料には、渤海経由で唐へ向かった記録などとして、渤海の記録が明確に残されている。しかし、渤海は謎だらけなのだという。第3話では、当時の外交戦略と地理的条件が歴史に与えた影響を説明し、日本史における渤海の重要性と、古代からの交流の歩みについて解説する。(全10話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●史料の少ない謎の渤海…日本との交流史からひもとく
―― 例えば、テンミニッツ・アカデミーでも「武士の誕生」(※編注:関幸彦先生の講義:「武士の誕生」の真実)とか「平安時代」の講義(※編注:関幸彦先生の講義:平安時代の歴史~「貴族道」と現代)のお話の中で、「渤海」という国が今の満洲地域にあって、そこと日本とがよく交流していた、と。それは当然、一面においては交易もありますけれど、もう一面においては中国本土の……。
宮脇 安全保障のね。
―― 中華帝国とどのようにうまい関係を結ぶかという、その1つの手段として、周辺国との仲を深めるということがあったということもありますけれど。
宮脇 中華帝国といっても、その頃は「唐」だったわけです。
―― 唐ですね。
宮脇 唐は私の専門なのですけれど、鮮卑族が降りてきてつくった王朝なので、そもそもが今の黒龍江の、もっと北、要するに大興安嶺山脈の北方にいた人たちがどんどん南下してきて、それで黄河流域まで来るわけです。それが隋と唐なのですけれど、それに日本は遣唐使を送る。
―― そうですね。
宮脇 遣唐使も朝鮮半島を通っていくルートと、渤海にいきなり行くルートがあるわけです。(つまり)渤海経由で長安に行くということがあった。だから、渤海と日本は、そもそも奈良朝から始まるのです。すごいですね。
―― その関係が、ですね。
宮脇 そうです。唐や渤海(との関係)が、です。だから、日本人は、後に満洲になるところは古い付き合いがあるよと。われわれはそんな時代から交易があったんだよ、ということで、日本史の中で渤海というものが、すごい大きな役割があるわけです。
だから、満洲についての講義をやるとしたら渤海からやってほしいという気持ちは確かにあって、渤海の研究者も日本人が一番多いわけです。
だいたいが日清・日露戦争以後、渤海のことが知りたい学者が現地調査に出ていって、満洲で渤海の都をたくさん見つけたのです。本当に古い日本とよく似ていて、城壁のあるところに仏教を入れたとか。だいたいが、石碑の下に亀を置いたりするのです。
―― なるほど。
宮脇 そういうものが残っているわけです。それで、渤海史を私もたくさん勉強したけれど、(実は)あんまり分からない(...