女真族による金の建国からモンゴル帝国の勃興へと覇権が移る中、日本に迫った「蒙古襲来」。襲来したモンゴル軍は、実は遊牧民のモンゴル人ではなかったのではないかという。それはなぜか。そしていったい誰が攻めてきたのか。その後、明が万里の長城以北を放棄した地で建国されたのが「清」であり、その清が明を滅ぼして中華帝国となる。清は独自の文字を持ち、「五体」という多様な民族を束ねる帝国であり、漢族中心の中華帝国とは根本的に異なる存在であった。(全10話中第4話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●女真の金を滅ぼしたチンギス・ハーン…満洲はモンゴル帝国に
―― では宮脇先生、続きまして、(前回の講義までで)渤海が滅びて、契丹がモンゴル草原のほうに行ってしまったという話になり、地政学的にモンゴル草原の人々と、いわゆる満洲地域の人々は全然違うというお話がありましたけれど、その後、中国東北部=満洲がどうなっていくかというところなのですが。
宮脇 渤海があって、その後に契丹になって、その契丹は実は女真に滅ぼされるのです。「金」(王朝)になるのです。なぜかというと、女真は要するに黒龍江から降りてきて、バカにされていたわけです。言ってみれば田舎者ということで。だけれど、契丹がだんだんに追われていく。女真は、実は「宋」と組むわけです。
―― なるほど。
宮脇 だから「敵の敵」で挟み撃ちです。宋もだらしないけれど、南に位置していたので物産は豊かです。だから契丹は、結局一時は非常に大きくなったけれど、女真が今のそれこそハルビンなどから南下してきて、契丹を追い払った。(つまり)下剋上で契丹をやっつけてしまったわけです。
それで、契丹は結局モンゴルに逃げて、その後、中央アジアに逃げて、「カラキタイ(西遼)」という別の王朝ができる。では、こちら(満洲地域)はどうなったのかというと、女真が(北から)降りてきた。契丹の時代、今の北京はまだ「南京」として南の都だった(※編注:契丹〈遼〉の時代、現在の北京は「南京」と呼ばれていた)。女真は自分たちが狩猟民(後の満洲人になる狩猟民)なので、そうすると遊牧はしないわけです。だから、(女真の金王朝は)モンゴルの遊牧民には一応シナ風に称号をあげて同盟者にして、自分たちは農業地帯に興味があるので、どんどん南下していった。
―― なるほど。
宮脇 (つまり)漢人をやっつけながら南下していったので、「宋」が「南宋」になってしまうわけです。
―― いわゆる中国が2つに……。
宮脇 南北朝になった。(女真の)金は狩猟民出身で(北から)降りてきて、今の北京が「中都」、要するに自分たちの領土の真ん中の都ということになるほど南下してきた。割合に羽振りは良かったのですが、(女真の)目が届かなかったというか、同盟をしたモンゴルの遊牧民、(中でも)ケレイトが一番大きいのですが、ケレイト遊牧民やタタール(などの部族の中)から、チンギス・ハーンが出たのです...