当時の満洲では、「日貨排斥」をはじめ張学良による激烈な排日活動が展開されていた。とりわけ、排斥の対象は「鮮人駆逐令」などに象徴されるように現地にいた朝鮮人であった。しかし現地にいた日本人は、日韓併合後に日本人となった朝鮮人を庇うべく奔走した。その象徴的な事件が万宝山事件だが、この衝突事件が「暴支膺懲(ぼうしようちょう)=横暴な支那を懲らしめよ」という日本の世論を高揚させていく。さらに日本陸軍の中村震太郎大尉が殺害される事件も発生し、ついに満洲事変へとつながっていく。第8話では、中国側の排日活動や一方的な条約無効化、さらに中国ナショナリズムの台頭、満洲に渡った日本人と現地の人々との摩擦など、複雑に絡み合った満洲事変の原因について解説する。(全10話中第8話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●満洲国建国当時の総人口3,400万人のうち日本人は2%!?
―― そのような形で張作霖が爆殺されてしまって、いよいよ満洲国建国という流れに少しずつ向かっていく形になっていきます。
その後で、(張作霖の)息子の張学良が、「易幟(幟〈はた〉をかえる)」ということで、蒋介石と結んでいわゆる中華民国の統一が成りました、ということになっていきます。
その中で張学良自体も、いわゆる「国権回復運動」ということで取り組んでいって、ソ連ともぶつかったりもしますけれど、もう一方で、日本に対して、相当激しい排日活動をやっていく。満鉄(南満洲鉄道)に並行する鉄道をどんどん作って、満鉄を経済的に締め上げるということもやりますし、「日貨排斥」といいますけれど、日本の商品、商売を邪魔するんだという排斥(運動も)やりますが、あれは排斥どころじゃない。本当に厳しいですね、荒らされてしまうと。
宮脇 本当にね。
―― 下手したら命の危険も感じる、打ち壊しのようなものも含めてやられたり、ということでやっていく。そのような状況の中、では現地の日本人たちがどう判断するか、というところになっていきますけれど、そこでまた朝鮮の方々が、1つのきっかけというか、ポイントになってくるというところですね。
宮脇 満洲事変の直前に日本人がどれぐらい満洲にいたか、調べたのです。基本的に満鉄(誕生)の後も、朝鮮人ではない日本人の数は非常に少ない。それは統計があります。
ただし、日韓併合後、朝鮮人も日本人にするということになったから、結局、満洲国建国時の総人口は約3,400万人ですが、漢人が83パーセント、満洲人とモンゴル人が15パーセント、日本人と朝鮮人が2パーセント。この2パーセントの中で、朝鮮人のほうが圧倒的に多いわけです。
―― それは歴史的経緯も含めてそうですね、あの地域の朝鮮との親和性を考えたら。
宮脇 それで、日本人はだいたいが満洲事変の直前、満鉄があった時も、満鉄社員が「ほぼほぼ」で、(その他に)関東庁の役人がいて、それ(の人たちを相手)に商売する人がいた。だから、1932年の人口の中で、先ほど2パーセントだったけれど、日本人は関東州を含めて24万人しかいない。それ以外はみんな朝鮮人。(つまり)日本人になった朝鮮人でし...