1581年、シベリア征服に乗り出したロシアは、毛皮などを求めてさらに南下し清朝と対峙するも、1689年のネルチンスク条約で一度は撤退を余儀なくされた。しかし、19世紀中頃、清の弱体化に乗じて北京条約などを締結し、アムール河以北や沿海州を獲得して実質的な支配を確立していった。こうしたロシアの南下脅威や、朝鮮をめぐる清国やロシアとの衝突の結果、日本は日清・日露戦争を戦うこととなる。いわば朝鮮のために日清・日露戦争を戦う羽目になったともいえる。だが、ロシアは日露戦争後、日本に賠償金を渡すのではなく、満洲利権を渡すことで幕引きしようと目論んだ。図らずも満洲利権を引き継いだ日本だが、しかし、その利権は実に不安定なものだった……。立場による地理・歴史認識の違いに着目しながら、近代日本とアジアの過酷な国際政治の歩みを分かりやすく解説する。(全10話中第5話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
●ロシアの「シベリア征服」の実態とは?
―― それでは今、歴史的な流れで満洲を見てきましたけれど、いよいよここに今度はロシアが入ってくるということで、また世界史的な新しい局面になってくるというところです。
宮脇 そうですね。
―― ロシアがいわゆるシベリアからどんどん東に行くという流れの中で、当時の清帝国とぶつかっていくことになると思うのですけれど、その経緯とか動機についてはどのように見ておられますか。
宮脇 ロシアはウラル山脈を越えてシビル・ハン国のシビルという街――イスケルともいうのですが――を占領するの(ですが、それを指揮したの)がドン・コサックのイェルマークで、その年を「シベリア征服の年」というのです(1581年)。ものすごい拡大解釈ですが、シベリアに一歩入ったので、そこを(東の海にいたるまですべて)「シベリア」と呼んだわけです。
シベリア(という言葉)は何かというと、「鮮卑(せんぴ)」で、そこから(シビル・ハン国)の「シビル」なのです。
―― なるほど。
宮脇 チンギス・ハーンの子孫の1人が、ウラル山脈を東に越えたところ(シビル・ハン国)の支配者だったのです。その街だけロシアのコサックが獲るのです。その支配者(シビル・ハン国の支配者)は草原に逃げるのです。遊牧民だからです。
コサックのイェルマークは、その3年後(1584年)にイルティシュ河で戦死するのです。(つまり)やり返されるのです。それにもかかわらず、家来たちは何十人かで(シベリアを)突き切って、60~70年後にオホーツク海に出たということです。
―― なるほど。
宮脇 それはすごい。コサック(Cossack)は「カザーク(Kazak)」というロシア語で、結局は支配者から離れて自由に冒険生活を営むに至った者ということで、カザフと同じトルコ語起源なのです(※「カザフ」はトルコ系の言葉で「独立者、放浪者、勇敢な冒険者」の意味)。だから、きっと元遊牧民が(西方に)行き着いて帰ってきたと私は思っています。
―― なるほど。
宮脇 だから、男だけでガーッと来たけれど、なぜガーッと来たかといったら、北ヨーロッパの毛皮を取り尽くした後で、毛皮が儲かったからです。森林で狩猟しながら、それでもう人がいないから、とにかく突き切ったわけです。突き切った後に、南下したのです。ヤクーツク(※編...