20世紀初頭、中国大陸は多数の軍閥が割拠し、ソ連やコミンテルンの工作も絡む魑魅魍魎の世界であった。日本は独自の安全保障観から満洲の権益維持にこだわったが、現地の文化や事情への理解が決定的に不足していた。第一次世界大戦末期に各国との協調で行なった「シベリア出兵」も、他国が撤退した後も無目的に駐留を続け、貧乏くじを引く結果となった。さらに、日本軍の犯行とされるがいまだに真相に謎が残る張作霖爆殺事件などを経て、日本はさらに混沌へと引きずり込まれていく。第7話では、こうした歴史的失敗を振り返り、過去の経験を現代の教訓としてどう活かすべきかを鋭く提起する。(全10話中第7話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●張作霖がなぜ満洲で大きな軍閥だったか
―― さらに複雑なのは当時の中国の事情ですよね。
宮脇 そうですよ、中華民国なんて名前だけです。
―― 結局、北の政府と南の政府で。
宮脇 北と南だけじゃない。もっといっぱいあるのだから。
―― そうですね。軍閥がわっと。
宮脇 そうです。それぞれの軍閥が自分の後ろ盾になってくれるように、いろいろな「うまい話」を持ってくるわけです。(だから)どこと交渉していいか分からない。誰も頼りにならない。
―― 日本はとりあえず張作霖(※編注:1875年~1928年。馬賊出身で、日本の援助も受けて満洲を統一し、奉天派軍閥の首領となる。1926年に北京政府を掌握するが、1928年に蒋介石の北伐軍に敗れ北京を脱出。奉天に帰る列車を爆破され、死亡)とかなり親密な……。
宮脇 張作霖は満洲の軍閥だったからですね。
―― そうですね。
宮脇 だから、日本人のリアリストは、やっぱり満洲だけにしようと。本当は満洲だけだったら、まだよかったわけです。出ていかなければね。だけれど、張作霖自身も日本を後ろ盾にして、軍閥抗争で勝とうとして出ていって負けたと。
でも、張作霖がなぜそんなに満洲で大きな軍閥だったかというと、今でもいろいろな研究があるのですけれど、彼はモンゴルと組んだのです。要するに、後に満洲国になる、満鉄の西にいたモンゴルの王公たちが、清朝がなくなった後で放り出されたのです。実際には清朝の宮廷と組んでいて、貴族階級だったわけです。でも、土地は、本当は王公たちのものではなくて、みんなのものであったのに、その辺のどさくさで、結局、土地持ちになったりした。その辺りは、匪賊と馬賊というじゃないですか。張作霖も匪賊と馬賊なんだけれど。
だから、あれは保険隊(※編注:満洲の地主や有力者と結んで、治安維持を請け負った武装集団)なのですよね。お金をくれたところだけ守って、くれないところを襲うわけです。
でも、それは、清朝がなくなって、自力で食べていかなきゃいけなくなった人たちが、そうやってモンゴル人を手下にして馬で襲ったり、(逆に)守ったりした。そのうちの1人が張作霖で、彼がなぜあんなに大きな軍閥になれたかといったら、王公と縁組みをしたという、そういう研究が若干はあるのです。
―― なるほど。
宮脇 そんな...