満洲国が掲げた「五族協和」は、元々、清朝で掲げられていた「五族」が元になったものだった。その後、清朝を辛亥革命で倒した中華民国が、清朝の領土はすべて継承すると「五族共和」を打ち出した。満洲国は、清朝の継承や中華民国への対抗の意味もあって「五族協和」を打ち出したのである。さらに実際には、満洲国の「五族協和」は白系ロシア人を含めた「六族協和」ともいえる状態であり、多様な民族が混在していた。しかし、終戦と満洲国の崩壊に伴い、現地に残された満洲人や漢人、ロシア人、朝鮮人らはソ連の侵攻や各国の政治的動乱に巻き込まれ、過酷な運命を辿ることとなった。最終話では、戦後を日本人だけの視点ではなく「五族」の視点で見たときに立ち現れる悲劇を直視していく。そして、未来のための歴史の学びへとつなげる重要な問題提起を行なって講義を締めくくる。(全10話中第10話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●「五族協和」の歴史を探る…実は「六族協和」だった!?
―― このような歴史の流れの中で「満洲」というものを見てきたわけですけれども、先生がこちらの真ん中の御本『満洲国から見た近現代史の真実』の最後の部分で、それこそ満洲国が崩壊した後で、「五族」がそれぞれどうなっていったのかということを、本当になかなか辛い話も含めてお書きになっています。そこも非常に日本人としては忘れてはいけない、大事なところだなと思ったのですけれど。
講義の初めのところで「五族協和」ということで少しお話もいただきましたけれども、「五族協和」は、理念として謳われていたところもあるでしょうし、実際にそれをめざしていたものもあると思うのですが、どういうものなのでしょうか。
宮脇 もともとは清朝という王朝が、ただの中華帝国ではなくて、満洲人が万里の長城の北で満、漢、蒙の三体、3種類でスタートして、公用語も3つだったのです。それからチベットとウイグルを入れて五族になった。
それで、蒋介石が「われわれは全部それを継承した」と言って、中華民国が「五族共和」を打ち出したわけです。「共」の字の(五族共和)。
それで実は満洲国は、後の清朝、「後清朝」のつもりであるわけですよね、シナ史では。
―― そうですね。
宮脇 だから、(清朝最後の皇帝の)溥儀を連れていったわけですよね。清朝は崩壊して、なくなってしまったから、次、われわれが清朝の継承を立てるということで、再び「五族協和」と。中華民国に対抗して、こちらも「五族協和」だと言って、「協」の字が違うわけです。
―― あの協力の「協」になると。
宮脇 そうです。満洲国はそういう政治的な意味もあって「五族」と言って。それは「清朝を継承した」という主張でもあるわけです。中華民国に対する対照であり、清朝継承ということで、対抗と継承ですよね。
満洲国にはチベットとウイグルがいなかったわけです。それで満洲国の五族というのは、日本人と朝鮮人がそれに加わって、漢人、モンゴル人、満洲人、で(計)五つになった。この絵が示しているように、漢人、モンゴル人、朝鮮人、日本人、満洲人です。
同時にもう一個の絵は、どう見てもロシア人が入っているわけです。実際に私も(書籍に)書いたのですが、「五族」だというのは、ちょっとした名...