ロシアの起源に関して、外国のヴァイキングを王として招いたという「ヴァイキング招致説」が存在する。プーチンはこの説を支持し、ヴァイキングの王リューリクをロシア・ウクライナ・ベラルーシの共通の祖とし、その一体性を主張する根拠とする。しかし実際には、キエフ・ルーシ分裂後の13世紀にモンゴルが侵攻したことで状況は一変する。西側のウクライナ地域は比較的早くモンゴルの影響下から脱してポーランド等の影響を受け、言語や宗教面で東側のロシアとは異なる独自の歴史を歩んでいく。しかし、プーチンはこうしたロシアとウクライナの歴史的な溝、その違いに触れない。それはなぜか。第3話ではその歴史的背景と彼の意図を読み解いていく。(全10話中第3話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●ヴァイキング招致説と王リューリク
―― 続いてロシアの成り立ち、ロシア国家がどうやって形成されていったかというところで、ここは本当に日本人はあまり存じ上げないところだと思うのですが、非常に驚くべき話といいますか、説がある。「ロシアはヴァイキングを呼んできて王様になってもらったのだ」という「ヴァイキング招致説」というのでしょうか、そういう説があるとのことですが、これはどういう話なのですか。
上月 まずヴァイキングというのは、その頃どういう民だったかというと、この人たちは非常に船を操るのが得意だったのですね。もともと北欧からヨーロッパの中をずっと回っていくわけです。ですから、例えば、「ノルマン・コンクエスト」とかいわれるように、フランスのノルマンディー海岸に行ったり、あるいはイギリスを支配したり、さらにもう少し後になりますとずっと地中海の中も支配したりして、(領土を)拡大していく。その意味でヴァイキングたちが多くの地域での文明の基になったというのは、そんなに不思議なことではない。その中の一つとして、ロシア、東スラブ人が住んでいるところに来たというのも、そんなに不思議な話ではないのです。
このことについては、『原初年代記』(編注:1113年に初版が編纂されたロシアの歴史書。850年頃から1110年までのキエフ・ルーシの歴史についての年代記)と申しまして、日本でいえば『古事記』みたいなものですね。そこで国の成り立ちのことを書いている中に、今いわれたヴァイキング招致説が出てきます。
その中では、東スラブ人がお互いに喧嘩をしあっていて、自分たちではまとまらないから、その時にヴァイキングが来てくれたので、(彼らに)「われわれを統治する王になってくれ」と頼んだという話が出ています。それでやってきたのがヴァイキングの王リューリクであったというのが、ヴァイキング招致説になります。
ただ、これについては異説もあります。そもそも自分たちを統治してもらうために外国の民族を呼んでくるというのは、いかにもしっくりいかないと。それを言いましたのは、モスクワ大学を作りましたミハイル・ロモノーソフという18世紀における大学者なのですけれど、彼はそう(ヴァイキング招致説)ではなくて、そのもっと以前から「ルーシ」という名称は使われているから、この人たち(編注:外国の民族)が全部作ったのだとい...