ロシア史に深く刻まれた約240年間に及ぶモンゴル支配「タタールのくびき」は、国の後進性を生んだとされる一方、中央集権的な国家統一を促す梃子(てこ)になった側面も持つ。また、ローマ帝国(第一のローマ)、さらに東ローマ帝国(第二のローマ)の継承者として自らを位置づける「第三のローマ」の思想は、自国に対する強い選民意識と対外拡大主義の精神的支柱となってきた。プーチン氏はこうした歴史的教訓や物語を巧妙に政治利用し、国民に外敵への警戒心と団結を促している。第2話では、現代ロシアの権威主義や対外姿勢の根底にある歴史的動機について深く学ぶ。(全10話中第2話)
※インタビュアー:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
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●タタールのくびきの影響について二つの見方がある
―― そのプーチンの真意を伺うためにも、(ロシアの)歴史、さらにプーチンがどうロシア史を見ているのかということで研究されていたというところですけれど、日本人はなかなかロシアの歴史のことを知らないケースが多いというところでもあります。
1つ抱きがちなイメージとして、例えばモンゴル帝国の「タタールのくびき」(=13~15世紀の約240年にわたり、ロシアがモンゴル勢力の支配を受けたこと。「タタール」は元々はモンゴルの一部族名だが、後にモンゴル族の総称にも)などともいわれますけれど、そのモンゴル帝国の影響を受けていた期間が長くございましたので、比較的ヨーロッパの他の国と比べて「アジア的専制」といいますか、ヨーロッパではないような専制主義的な要素があるんじゃないかというイメージがあったりします。
あるいは例えば、ソビエト連邦が崩壊した後で、だいぶ長い年月がたっているのですけれど、いまだに「ソ連的なイメージ」を引き継いで、なんとなく今のロシアの姿をソ連と重ねて見てしまうような傾向もある気がするのですけれど、そのあたりはご覧になっていていかがですか。
上月 「タタールのくびき」ですが、1240年から数えますと、(約)2世紀半、タタールの支配が続いたのです。このことについては、その時期のタタールの支配によって、ロシアの後進性がこの時に生まれたのだという見方もありますけれど、他方で、この時に中央集権的な制度というものがロシアが統一していく上での梃子(てこ)になったという、肯定的というか、国を統一するのにそれが役立ったという見方はありました。
確かにそういう中での東アジア的な中央集権的なところというのは、ロシアの中に残ったとはいえるのだろうと思います。今もロシアという大きな国を統治していく上で、中央集権的な姿勢が必要なところにタタールの影響を見いだすこともできるだろうと思います。
それから、「ソ連の影響」ということですけれど、これも非常に官僚主義的、権威主義的なところをソ連の影響だという人もおりますけれど、それ以前からロシアには官僚主義的なところがあったと思いますのでね。
―― ロシア帝国時代からですね。
上月 はい。ロシア帝国時代から。(ですから、)そのことがソ連の直接の影響だ、あるいは、ソ連的だということでは必ずし...