『万葉集』と律令社会~官僚の心得と歌宴
『万葉集』でわかる奈良時代の貴族と地方豪族の関係と日常…歌人・大伴家持の歌に秘められた国守時代の苦労話
『万葉集』と律令社会~官僚の心得と歌宴(1)国守・大伴家持と地方社会の日常
上野誠(國學院大學文学部日本文学科 教授(特別専任)/奈良大学 名誉教授)
2.地元の有力者の力を借りるために大伴家持が詠んだ歌とは?…今も奈良時代も変わらない中央官僚と地元有力者の関係
2026年10月20日配信予定
3.タイトル未定
2026年10月26日配信予定
4.タイトル未定
2026年10月27日配信予定
『万葉集』を通じて、歌人・大伴家持が越中国(現在の富山県)の国守という地方役人だった時代の歌や宴会の様子などを取り上げながら、古代における地方社会と中央権力の結びつきについて解説する本講義。高貴な貴族であった家持が官僚として国分寺の建立など国家的事業を円滑に進めるため、赴任先の地方豪族(郡司)や官僧に対して気遣いを交えながらコミュニケーションを深める姿は、古代官人のリアルな生活と知恵を現代に伝えている。第1話では、日本史では決して語られることのない「庶民の日常」に着目する民俗学のアプローチを参照しつつ、家持が歌に詠んだ地方役人の日常に迫る。(全4話中第1話)
時間:15分22秒
収録日:2026年9月16日
追加日:2026年10月19日
収録日:2026年9月16日
追加日:2026年10月19日
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≪全文≫
●「庶民の日常の生活というものをクローズアップしなければいけない」
ごきげんいかがでしょうか。上野誠です。
今日は、私は『万葉集』の研究者なのですが、『万葉集』という史料を使って、どのように地域社会があって、その地域社会がどのように中央政界や中央の権力と結びついているのか、そういうお話をしていきたいと思っています。
ちょっと考えてみていただきたいのですが、朝起きて、歯を磨いて、目玉焼きを作り、トーストを焼いてというようなことを私たちは毎日繰り返しているわけです。そういったことは、実は記録されることもなく、忘れ去られていくことなのですが、一方で、アメリカ大統領はこの日どこに行き、どういう発言をし、議会がどのように反応し、法律をどのように通したということは、記録に残っていくわけです。
そうしますと、私たちの日常の生活はむしろ全く残らず、そして偉い人の時間の中でも非日常が残っていくと。
つまり、例えば日本の歴史として、藤原道長、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊藤博文、田中角栄、高市早苗とつないだら、(それが)日本の歴史になるのかということです。(そこには)庶民だっているだろうし、われわれは日常生活の中に生きているにもかかわらず、その日常というようなことが扱われない。
このことにいち早く気づいた学者が民俗学の柳田國男です。柳田國男は、庶民の日常の生活というものをクローズアップしなければいけないよと(言いました)。
その柳田の元にいながら、新しい学問の方法を模索したのは折口信夫という学者ですが、折口信夫は、古典と現在残っている民衆の慣習、民俗とを重ね合わせることによって、古い感覚のようなものを明らかにしようとしました。
こういう日常へのまなざしというようなものが生まれてくるのはどういうときかといいますと、人間の生活が大きく変わるときなのです。
近代における大きな変化というと、産業革命。そして今、私たちの生活を考える上で極めて重要なのは、第二次世界大戦でしょう。そういった中で、フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルという人やアラン・コルバンという人がいるのですが、そのアラン・コルバンなどは日常の歴史を考えようよと(言いました)。
例えば「木陰」の...
●「庶民の日常の生活というものをクローズアップしなければいけない」
ごきげんいかがでしょうか。上野誠です。
今日は、私は『万葉集』の研究者なのですが、『万葉集』という史料を使って、どのように地域社会があって、その地域社会がどのように中央政界や中央の権力と結びついているのか、そういうお話をしていきたいと思っています。
ちょっと考えてみていただきたいのですが、朝起きて、歯を磨いて、目玉焼きを作り、トーストを焼いてというようなことを私たちは毎日繰り返しているわけです。そういったことは、実は記録されることもなく、忘れ去られていくことなのですが、一方で、アメリカ大統領はこの日どこに行き、どういう発言をし、議会がどのように反応し、法律をどのように通したということは、記録に残っていくわけです。
そうしますと、私たちの日常の生活はむしろ全く残らず、そして偉い人の時間の中でも非日常が残っていくと。
つまり、例えば日本の歴史として、藤原道長、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、伊藤博文、田中角栄、高市早苗とつないだら、(それが)日本の歴史になるのかということです。(そこには)庶民だっているだろうし、われわれは日常生活の中に生きているにもかかわらず、その日常というようなことが扱われない。
このことにいち早く気づいた学者が民俗学の柳田國男です。柳田國男は、庶民の日常の生活というものをクローズアップしなければいけないよと(言いました)。
その柳田の元にいながら、新しい学問の方法を模索したのは折口信夫という学者ですが、折口信夫は、古典と現在残っている民衆の慣習、民俗とを重ね合わせることによって、古い感覚のようなものを明らかにしようとしました。
こういう日常へのまなざしというようなものが生まれてくるのはどういうときかといいますと、人間の生活が大きく変わるときなのです。
近代における大きな変化というと、産業革命。そして今、私たちの生活を考える上で極めて重要なのは、第二次世界大戦でしょう。そういった中で、フランスの歴史学者フェルナン・ブローデルという人やアラン・コルバンという人がいるのですが、そのアラン・コルバンなどは日常の歴史を考えようよと(言いました)。
例えば「木陰」の...