●『太平記』は徳川光圀によって発見された
―― 皆さま、こんにちは。本日は、兵藤裕己先生に『太平記』の世界、激動期の生き方というテーマでお話をいただきます。兵藤先生、どうぞよろしくお願いいたします。
兵藤 よろしくお願いします。
―― 兵藤先生は、岩波文庫の『太平記』全6巻の校注も務められました。この校注の元になった『太平記』は、どのような本だったのでしょうか。
兵藤 京都に龍安寺という、大変有名な禅宗のお寺があります。その龍安寺が、古く室町時代からずっと所蔵している本です。
例えば元禄時代、徳川光圀が『大日本史』をつくる時に、『太平記』を参考にします。日本の歴史を書く時に、いろいろなところの『太平記』の本を探した結果、発見した本の一つなのです。
龍安寺の所蔵する『太平記』は、徳川光圀がつくった『大日本史』の時代から引用されているのですが、今まで一般の人が手に取れるような、例えば文庫本や古典全集といった形での本がなかった。ですから、私が龍安寺にお願いして許可をもらい、これを活字本にして注釈を付けたのです。始めてから完成するまで12年かかりました。
―― 12年? そうですか。
兵藤 なんとか出したということですね。
●2度の討幕を企てた後醍醐天皇
―― 見ていただいてもお分かりの通り、『太平記』は岩波文庫版でも第1巻から第6巻まであります。もともとは第1巻から第40巻までという、かなり大がかりな書籍になります。
そもそも、『太平記』という名前は聞いたことある方が多いと思います。扱っている時代は、鎌倉幕府の末から室町幕府第2代将軍が亡くなるまでですね。
兵藤 そうですね。一番初めに『太平記』に登場する人物は、後醍醐天皇です。後醍醐天皇は1318(文保2)年に、第96代天皇として即位します。後醍醐天皇は最初から、「昔のような朝廷の華やかな姿を取り戻したい」「朝廷を中心にした政治体制をつくりたい」という意欲がとてもあった人でした。それに対して目の上のたんこぶなのは鎌倉幕府です。政治を牛耳っている武家政権が、関東にあったのです。
よく高校の歴史教科書にも書いてあることですが、後醍醐天皇は 1324(正中元) 年の正中の変、1331(元弘元)年に元弘の変と2回、幕府を討伐する企てを立てます。1回目も2回目も失敗するのですが、2回目である元弘の変の時に後醍醐は捕らえられて、...