徳川斉昭の側近である藤田東湖は戸田忠敞とともに「両田」体制で水戸藩を支えるが、2人がともに安政の大地震で落命したことから藩の迷走が始まる。「諸生党」と呼ばれる諸政保守・門閥派と「天狗党」と呼ばれる改革派の対立は苛烈を極めることになる。そうした中、井伊直弼が断行した「安政の大獄」は斉昭への処分など水戸藩にとって重いものだったが、そもそも安政の大獄は何のためのものだったのか。(全4話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツTV論説主幹)
≪全文≫
●水戸藩を支えた「両田」の死と結城寅寿の悲劇
―― そうなると、藤田東湖の評価もなかなか難しくなりますか。
山内 徳川斉昭は、彼の持っている水戸学としての理屈、理論も極端だけれど、言うこと、つまり政策や水戸家の家内統制、家の統制などについてもまったく極端なところがあるわけです。ところが、藤田の場合は、水戸学の理論というものを持っている。そして、非常に極端な性格ではありましたが、現実政治においては妥協したり、人々を説得したりしていく力を持つ人物でした。
また、(水戸藩には)もう一人、戸田忠敞(戸田忠太夫。通称は銀次郎、号は蓬軒)という人間がいました。戸田と藤田、二人とも「田」がつくため「両田」体制と呼ばれます。両田は、そういう現実感覚を持っていました。
―― 現実感覚を持っていたわけですね。
山内 持っていたのです。戸田と藤田、この2人が斉昭のエキセントリックなところを抑えて、他藩との折衝や幕府との調整を果たしました。そういう交渉の時に、2人は現実感覚とともに頼りになる学識を備え、その両方をもって説得できる力がありました。
斉昭には、もともと自分の男色対象で、後に最も憎むことになる結城寅寿(朝道)という部下がいました。「可愛さ余って憎さ百倍」というところでしょうか。彼は免職され、幽閉されますが、命を長らえることができました。
なぜなら、彼はあるときまで藩のトップを担う存在で、後に藤田と戸田に抑えられたとはいえ、結城家は結城秀康の結城ですから、関東の名族、名門の血を引いた人物で、千石取りの重臣でした。このような家柄と能力、高いレベルで幕府とのつながりを持つ人物は、水戸家にとって大事ですから、彼は粛清されなかったわけです。
―― なるほど。
山内 ところが、「両田」が安政の大地震で死んだと聞いた結城はすぐに、「ああ、これで俺の運命も定まった。間もなく死ぬことになる」と漏らしたそうです。これまでは両田(藤田と戸田)が、そういう極端な行為(テロルなどの犯罪的な殺傷行為)に走る人間を抑えてきました。そのために「結城を斬るな」という御事が発せられ、(極端な行為に走る)彼らはためらっていたのです。
ところが、この2人がいなくなると、自分と議論して敵うものはいない。自分が言い負かされたり、議論したりできる相手は戸田と藤田以外にはいないのだから、自分に対す...