日本人は歴史の中で仏教をいかに受容してきたのだろうか。橋爪氏は、基本的には「あまり本気にしなかった」のではないかと説く。平安時代の貴族は、自分の一門の繁栄を願ったり、政敵を調伏したりするために仏教のオカルティックな祈祷にすがった。だが、これに異を唱える仏教者が現われてきて、やがて法然・道元・日蓮らによる鎌倉仏教が生まれてくる。たとえば法然の浄土宗は「南無阿弥陀仏」を唱えれば極楽往生できると説き、民衆の自律的なコミュニティ形成や社会革新につながった。また橋爪氏は、日本の先祖崇拝も、実は日本人は真面目に捉えてこなかったのではないかと見る。どういうことなのか。第4話では日本人の宗教観の本質を探っていく。(2026年5月16日開催:早稲田大学Life Redesign College〈LRC〉講座より、全6話中第4話)
※司会者:川上達史(テンミニッツ・アカデミー編集長)
≪全文≫
●仏教を民衆に分かりやすいものにした法然・道元・日蓮
―― 空と縁起ですけれど、これは非常に難しい。特に空の話があるので、実はテンミニッツ・アカデミーでも、今までいろいろな先生にお話を伺っておりました。
例えば、東大で倫理学を教えていらっしゃった賴住光子先生は、「関係性の“網の目”というものはあり、世の中は関係性の網の目でできています。だから、“私“という人がいても、Aさんから見たらこう見える、Bさんから見たらこう見える、Cさんから見たらこう見えるということで、結局私は何なのですかと言われても、誰も答えられない」というような言い方で説明されていました。
また、藤田一照先生という、いろいろとご本を書いていらっしゃる曹洞宗の僧侶の方がいらっしゃいますけれど、その方にお話を聞きましたら、囲炉裏に火箸が刺さっており、こう(手で持って)使えば火箸(になる)けれど、こう(握って)人を刺せば武器にもなるし、背中をかけば孫の手にもなりますよと。それは人間も一緒で、結局いろいろな用があるということで、それが空なのですと話をされていました。
『ゆかいな仏教』の中で橋爪先生がおっしゃっているのは、世の中には美人とか美しい男性とかいるけれど、例えば少し時を経るとだんだん老いてきて、いずれ骸骨になってしまいますねと。また、美しい肌も非常にクローズアップしていくと、毛穴がクレーターのようにボコボコと空いていて、決して美しいとは言えなくなる。そのようなたとえで空を解説されていたかと思うのですが、もう一回、空についてお話いただくと、どういうことになりますか。
橋爪 何回もご立派な先生がレクチャーされているので、多分その通りです。異論はない。それを上回ることを私は言えないし、ここで繰り返すつもりもないけれど、私が言いたいことは、仏教の本質はそうだろうけれど、日本人はそんなことは分からないし、あまり本気にしなかったということです。
まず平安時代の貴族は「そんなことはどうでもいい」と思っていました。平安時代の貴族は、荘園がちゃんと相続されるかとか、我が一門が繁栄するかとか、政敵が死んでくれないかなとか、そんなことばかり考えていたのです。そこで、オカルトに大金を払って、こういうもので護摩を焚いてくださいとか(言ったり、考えたりしていました)。つまり仏教の政治的利用、あるいは仏教の個人...