●5つの時代とヘシオドスの『労働と日々』という叙事詩
鎌田 今、神々の世代交代の話をしました。そこで興味深いのは、神々が生んだ人間の世界の歴史的な展開を、5つの時代に分けて話しているものがあることです。ヘシオドスの『労働と日々』という叙事詩です。その中では、第1時代は黄金の時代、第2時代が銀(白銀)の時代、第3時代が銅(青銅)の時代、第4時代が英雄の時代、第5時代が鉄の時代だといいます。
これはいろいろな形で語られるのですが、最初の黄金の時代がなかなか興味深く、エデンの園のような話なのです。
―― あの『旧約聖書』でいうところの、ですね。
鎌田 『旧約聖書』でいうエデンの園のような話なので、人間がどうやって作られたかというものです。
世界の神話構造の中には、宇宙がどのようにして始まったのか、人間がどのようにして始まったのか、文化がどのようにして始まったのか、といった起源論が語られています。その中で人間の始まりは、大地から種が成長して花になるように生まれてきたといった植物学的な生成があり、神々が創造したという話があり、神々の中でも特に火を用いた神が人間のために火を持ってきて創ったなど、さまざまな説があります。
そういった中でヘシオドスが書いているのは、最初の黄金の時代は大変楽しい楽園の時代であったということです。一種のユートピアの状態で、季節がいつも春で暖かく、食べ物も地上に満ちていて、人間は働かなくても過ごすことができる。まさにエデンの園です。
―― エデンの園ですね。
鎌田 木の実を取って、どこでも食べていいということです。エデンの園でも最初は、生命の木の実がエデンの園の中央にありました。そして、その生命の木の実を取って食べたら、おそらく永遠の生命になる。これは世界共通の、神の世界は不死の世界だという考え方と、人間の世界には死があるという考え方です。死というものが黄金の時代にもあった。だから、そこは神とは大きく違う時代なのです。それが次第に劣化していき、銀の世界となり、銅の世界になっていく。そしてだんだんと争い事が増えてくる。
―― 単なる楽園ではなくなってくるのですね。
鎌田 そうです。そして、例えば青銅の時代(ブロンズエイジ)になると、銅剣のようなものができて、戦争も次から次へと起こり、殺し合いや争いが絶えないので、皆死んでしまいます。そういった中でヘシオドスが「ついに英雄の時代がやってきて、英雄が一つの国や民族を救出する」、あるいは「新しい世界を切り開く(創っていく)」などということを言う。
最後に鉄の時代になると人の心は非常に荒んできて――まさに現在、現代といえるかもしれませんが――お互いに傷つけ合ったり、騙し合ったり、不正と非道がはびこる世の中になってしまった。そして、1日10時間あるいは12時間というブラック労働をしなければ生きていけない。そのような状況の中で、親子、兄弟も信じ合うことができない。友情も成り立たず、裏切りや欺きが起こっている。子どもは親の恩義など忘れてしまっている。老人を嘲り、笑い、蔑む。
そういう中で、力ある者が権力を握る、正義であるというような、まさに現代社会に近い状況が訪れて、それが黄金の時代から、だんだんだんだんと時代が進んでいくにつれて下降して悪くなっていって、そして今の鉄の時代に至るといったようなことが、『労働と日々』の中、叙事詩の形で語られているわけですね。
こういったものから、ギリシア神話がどのような時代的メッセージを私たちに伝えているのか。とても大きなヒントがあると思うのです。
●ギリシア神話の歴史観と通じ合うのは仏教の末法史観
―― そうですね。どのような神話を自分たちの文化背景が持っているかでずいぶん変わると思います。ギリシアの場合は、先ほど(第1回)あったように父殺しの話があったり、あるいは次第に時代が悪くなっていくという見方がベースにあったりする社会です。
他方、以前の鎌田先生の講義でもあったように、日本神話の場合は父殺しのような伝統もなく、また天壌無窮といって「どう続けるかを工夫しなさい」という命令を天が与えて続いていくという歴史観です。このような二つの社会は、どのような神話に立脚するかでずいぶん変わってくるでしょうね。
鎌田 私は10歳の頃に『古事記』を読み、ギリシア神話を読んで、その共通点に非常に惹かれたという話を以前の講義でしました。
その一番大きな驚きは、日本神話でのイザナギ、イザナミの物語で「死」が生まれ、死の国へ行くという黄泉の国訪問の話が、ギリシア神話のオルフェウスとエウリュディケが死の世界に行く...