●無理難題物語と日本のオオクニヌシ神話
鎌田 このようなエピソードがいろいろと語られ、それをプラトンが再引用しながら『国家』の中で語り、あるいはアンドロメダを救出して結婚したペルセウスの話をしてきましたが、そのペルセウスの子孫のヘラクレスの問題と、日本でのオオクニヌシの問題は少し似ているのです。
「無理難題物語」というものが世界中にあります。これだけでも一つの哲学的な思想のヒントになるもので、無理難題が必ず与えられます。テンミニッツTVの講義の中でも、日本神話の中でスサノオのところに行くオオクニヌシの話をしましたね。
―― そうですね。オオクニヌシは本当にいろいろな無理難題を課されますね。
鎌田 お兄さんに「荷物を持て」と言われるなど、一番辛い目に遭ってきました。お兄さんたちに「ここ(上)で、イノシシを追い払うから、お前は下で受け止めろ」と言われ、大きな焼き石を上から転がされて、焼け死んでしまい、お母さんたちの力で蘇ります。ところが、お兄さんたちの嫉妬で、木の股に挟み込まれ、ズタズタに体が傷ついて、また死んでしまいます。ということで、2回も殺されているのです。
日本の神様はギリシアの神様と違って不死ではありませんから、死ぬことがあります。イザナミも死にます。ギリシア神話での神様と人間の違いは「不死か、死か」です。日本神話はギリシア神話と違って、神と人間との間が死によって切り分けられていないのです。
―― そうですね、確かに。
鎌田 日本神話のその部分は不思議で、命の両面性が常にあることを認識していたことになるのでしょうが、神々も死んだりします。でも、死んでも終わりではありません。死んでも一つの存在としての変容はあるので、黄泉の国で別の形で生きている、別の姿・形に変えて存在するという話になりますが、しかし死なないわけではありません。そういったことが語られています。
今、ヘラクレスの無理難題物語をオオクニヌシの話とつなげて語っているのですが、オオクニヌシはスサノオの家に入れられ、蛇の部屋に入れられる、頭のムカデを取れと言われる、あるいはスサノオの放った鳴鏑の矢を取りに行くように言われる、その際にスサノオが火を放って焼き殺されそうになる。
―― 草原の真ん中で射かけられて、という話ですよね。
鎌田 そうです。そこでネズミに助けられたなど、全てが無理難題で、それを救出するという物語です。少なくとも3つの無理難題を、スセリヒメというスサノオの娘の力を借りて解き、やっと救出できてスサノオの家から出ていくことができる。そして、オオクニヌシという名前をもらい国づくりの英雄になっていくという話です。
―― そうですね。
鎌田 だから、日本の場合はスサノオも英雄ですが、オオクニヌシも、弱い者がより強い者になっていくという無理難題物語です。
―― そうですね。しかもいろいろな助けを得て、そうなっていくという面白い英雄神話ですね。
鎌田 そして最後に国譲りということで、再々にわたる無理難題があるのです。
―― 確かにそうですね。
●無理難題を解決する鍵は「人間力」と「技術力」
鎌田 そのような無理難題の話は、日本ではオオクニヌシ神話に典型的に語られています。それと似たような無理難題が「ヘラクレスの選択」といわれる物語の中に込められているのです。ギリシア神話の中にある神話的な構造とは結局、神々が闘争しつつ、さまざまに起こる危機や無理難題といったものを、英雄がどう解決するかという話になっています。
これは、抽象的な構造だけを取り上げれば世界共通です。ところがその中でも、それぞれの地域神話に違いが出てきます。ギリシア神話と日本神話は共通点も多いですが、先ほど言ったように、違いもいろいろとあります。
例えばパンドラの箱の話は、災いという概念ではないけれど、浦島太郎の玉手箱の話や、浦島太郎伝説に似ているケルトのオシーン伝説と共通しているものがあります。箱の中に、何らかの世界を変えてしまう力があり、一つの時代を終わらせる、あるいは切り替えてしまう。それによって今までのものを失ってしまう。これは、私たちの「生存」――一面では非常に喜びの世界であるけれど、もう一面では非常に苦難や悲しみを背負い、さまざまな喪失を体験する世界――が意味づけを必要としているのです。
いいことも起こるけれども、悪いことも起こる。悪いことばかりではないが、その悪いこと、無理難題はどうすれば解決することができるのか。今も世界中には無理難題がたくさんあります。その無理難題を解決していくために英雄たち、あるいは神々がどのような行動をしてきたか。それをひも解くことは、そのヒントにとてもなったり、勇気づけられたりすることがある。 その際には、いろいろな飛び道具...