他者に対して「幸福になってほしい」と祈ることが自分の幸福になると考えるのは誤りの幸福論に陥りやすい。それはあくまで結果論であって、現代社会において自分自身が「幸福になりたい」と考えることが不平・不満を生み出している。対して、不幸を受け入れる武士道の哲学を提示する執行氏。自分が欲することを捨て、愛する他者の生命や幸福を純粋に祈る境地の中にこそ、自ずと大きな幸福感がもたらされる。第3話では、真の「幸福」とは何かについて武士道の思想を交えて探求する。(全10話中第3話)
※インタビュアー:神藏孝之(テンミニッツ・アカデミー論説主幹)
≪全文≫
●他者の幸福を「祈る心」そのものが自分の幸福になる
―― これは、仏教でいえば利他の心なのですか。
執行 利他の心になるけれど、仏教では「利他」という特別な言葉を使っているけれど、要は「他者に対する祈る心」です。
―― 祈る心ですね。
執行 それが、他人の利益であるかどうかは別として、絶えず他人の人生、他人の生命、他人の生命的幸福を祈っている感じです。家族などは自然にあるよね。家族ならわかると思う。
―― わかります。
執行 親にはなんとか楽してもらいたい。幸福になってほしい。女房も夫も当然結婚すれば、そういう気持ちはあります。あと子どももね。これは当たり前なのだけれど、でも(本当に)当たり前かな。最近ないかもしれない。
―― 最近、そこは怪しい感じがしてきましたね。
執行 ちょっと怪しい。たしかに口では女房のためとか言っている友達も多いけれど、あれは自分(のため)ですね。
―― 母親がこどもをつかまえて「あなたのためよ」というのも、相当怪しいですね。
執行 怪しいね。私の母親は(そんなことを)言ったことがない。昔の人だから。今、そういう言葉はどんどんと嘘っぽくなっている。一昔前なら家族は当たり前。だから、基本的には幸福論というのは、家族に対する気持ちが友達とか会社の同僚とかお世話になっている人に向かえば、それが真の幸福の哲学なのです。
―― それが(お世話になっている人たち)に向かえば、まわりまわって自分も幸せになってくるわけですね。
執行 だから、それは結果論なのです。
―― 結果論ですね。
執行 この結果論の先取りが今なのです。
―― そうですね。
執行 でも多分、結果論を先取りした人は不平不満に陥りますね。私は少なくとも武士道、葉隠というものを信仰して生きているので、これだけは人に大手を振っていえるのは、武士道はとにかく死の哲学であり不幸の哲学なので、自分がよくなりたい、出世したい、金持ちになりたい、楽になりたいと思っていたら、絶対に受け入れられないものなのです。
でも、それを私は好きになって受け入れようとしているので、自分の幸福は、人生からなるべく考えないようにしようとしているわけです。(実際は)考えてしまうのだけれど、なるべく(考えるのを)やめよう、やめようと思って生きてきたわけです。それが完全にできたかどうかは別として、曲...