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現代人の歴史解釈の基本は「ふりかえれば未来」

「ふりかえれば未来」を歴史解釈の基本に

山内昌之
東京大学名誉教授/歴史学者/武蔵野大学国際総合研究所客員教授
情報・テキスト
デロリアンDMC-12(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』)
「歴史家の仕事は、出来事や人びとの在り方をできるだけ客観的に見て、公平・平等に評価することにある」。そう山内昌之氏は指摘する。現代の世界にも、歴史解釈をめぐって自由な議論ができる国と、政治の圧力で決める国とがある。極端に事実を誇張したり歪めた解釈を世界中に広める国々もある。しかし、そのようななかで、歴史を語るとはどのようなことなのか。トルストイや中国唐代の歴史家・劉知幾、さらにモンテーニュなどの言葉を引きながら、歴史の「見方」を考える。
時間:11:03
収録日:2015/02/25
追加日:2015/04/19
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≪全文≫

●トルストイが考えた「歴史とは何か」とは


 皆さん、こんにちは。新聞等で報じられている通り、「21世紀構想懇談会(正式名称:20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会)」が発足し、2015年2月25日に第1回の会合が持たれました。今年は安倍総理大臣が戦後70年の談話を出しますので、その判断材料を提供するための場とされています。

 私もこの会合に参加することになりましたため、この機会を借りて、自分の発言に対する個人的な根拠として、「歴史とは何か」に関する所感めいたことを、あくまでも個人の資格で述べたいと思います。

 『戦争と平和』を書いたロシアの文豪・トルストイは、歴史の出来事について、根本までさかのぼって熱心に理解しようとしたことがあります。『戦争と平和』の巻末部分を読むと、彼自身が抱いた「歴史とは何か」の問いをめぐり、非常に浩瀚(こうかん)な議論が展開されていることが分かります。

 トルストイは、ヨーロッパの歴史学の金字塔とも言うべき、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』についてさえ、批判を行ったことがあります。歴史が叙述としてなされる以上、そこにはどうしても枠組み(カテゴリー)が必要です。その枠組みがいかにも空虚であること、そして空虚な枠組みと、現実に起こった歴史の事実が混同されているという批判でした。

 しかし、後世から「全面的に非歴史的」であると非難を浴びたのはトルストイの方でした。トルストイの考えは、時に歴史を物語と誤解する傾向を帯びていたため、彼はやはり文学者であって、歴史的とは言えないと批判されたのです。


●客観的に見て公平に評価するのが歴史家の仕事


 私たち歴史家からすれば、その仕事は、出来事や人びとの在り方をできるだけ客観的に見て、公平・平等に評価することにあります。ラテン語には、“Id est quod est(カクノゴトクアルモノハ、カクノゴトクアル)”という言葉があります。「このように存在する現実は、このようにしか存在し得ない」という、動かない事実に対する学問の在り方を示した言葉です。

 私自身は、日本の歴史や日本人のこれまでの過去について、格別悲観的に考えたことはありません。歴史的にみれば、われわれが多くの事柄を反省しなければならないのは当然の事実です。しかし、あえてそうした事柄について言えば、私は「ゆとりのある反省」の立場を持っているということを説明しておきたいと思います。

 事実として反省するべき点があればすればよく、必要のないことまで過大に反省したり謝罪したりすることは、やはり歴史学者としてとるべき態度ではないと思うからです。歴史とはすでに起こったことであり、「このようにあってほしい。できればこの点を直したい。起きなかったかのように考えたい」と言っても、もはや起こった事実そのものを変えることはできません。この点について、私は虚心でありたいと思っています。


●多様な歴史解釈の許されない窮屈な国々


 歴史解釈は、日本では個々の歴史家に委ねられ、専門家でない人々も自由に歴史について発言します。しかし、世界にはそのような多様な解釈のあり得ない国々もあります。

 歴史解釈をめぐって日本を批判する国々がいくつか存在しますが、例えばその一つにおいては、国を支配する一党のエリート・リーダーたる政治家たちが歴史の解釈を決めています。歴史家は、そうした解釈に従って研究しなければいけない、大変窮屈な国です。

 また、世論の決めた流れに抗することのできない国もあります。しかし、世論とは特に歴史についての専門的知識で裏打ちされる必要もなければ、根拠も薄弱なものです。その世論が「歴史は、こうだ」と決める。誠に不思議だと思います。それによって歴史家の史観への圧力が加わる。いずれも大変窮屈な国々だと言わなければなりません。


●歴史発言をなす人々が読むべき先人の言葉


 私が尊敬する中国唐代の歴史家に劉知幾(りゅうちき)という人物がいて、『史通』という書物を書きました。歴史の理論である史学概論を著した非常に優れた書物です。私の大好きなくだりを、口語訳で説明しましょう。

 「遠い昔、互いに覇(ヘゲモニー)を争い、勝負の行方が定まらなかった時代でも、歴史家は他国のよい点を必ず称賛して書き、自国の悪い点も隠しだてしなかった。ところが近い時代になると歴史家は公平に記録をせず、自国の優れた点を自慢し、他国の劣った点をあげつらうようになった」と述べています。

 「それを触れ文に載せて、相手をあげつらうことは許せるが、それを史書に載せて出鱈目な話を作り上げることは適当でない」(内篇巻7,西脇常記訳注) 。「触れ文」とは政治的な「おふれ」の文章でありますから、それはま...
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